本書の要点

  • 時価総額1280億ドルの巨大企業にまで上りつめたヤフーの価値は、2000年前半のドットコム崩壊で一気に地に落ちた。その後も、グーグルやフェイスブックの買収が失敗に終わり、数々のCEOが退任を余儀なくされた。

  • 新しいCEOに抜擢されたメイヤーは、幹部の人選ミスや自身の冷たい態度、従業員の対立につながる評価制度の導入により、社内の不満を生み出してしまった。彼女はプロダクト開発に注力できておらず、現在も苦闘を強いられている。

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群雄割拠のネット業界に翻弄されるヤフー

ヤフー誕生とドットコム崩壊による苦境の始まり

1990年代、ヤフーというブランド名はインターネットの代名詞だった。創業者のジェリー・ヤンとデビッド・ファイロは、自分たちのつくったサイトがビジネスになるとは夢にも思っていなかった。彼らは自分たちが使いやすいツールをつくって楽しんでいたにすぎない。しかし、1995年の法人化後すぐに、CEOのティム・クーグルとCOOのジェフ・マレットという、高い経営手腕を持つ人材がヤフーに加わったこと、そして、孫正義率いるソフトバンクの出資を得たことを契機に、ヤフーは驚くべき勢いで成長を遂げた。この急成長の理由は、ヤフーが、ワールド・ワイド・ウェブを手っ取り早く体験するためのユーザーフレンドリーなWEBへの入り口、つまり「ポータル」を提供したからである。こうしてヤフーは、時価総額1280億ドルの巨大企業にまで上りつめた。ところが、2000年前半に起きたインターネットバブル崩壊、つまりドットコム崩壊のあおりを受け、ヤフーの価値は凋落した。ヤフーの広告事業は、ドットコム企業に法外な金額で広告を売ることで成り立っていたため、ヤフーは危機的状況にある。この事実と向き合うことを余儀なくされたヤフーの経営陣たちは、プロダクトとサービスを利用するユーザーを増やすという計画、「ヤフー2.0」を掲げたが、2001年2月にCEOのクーグルは辞意を表明し、COOのマレットもその数カ月後にヤフーを去った。

ゴッドファーザー計画

2001年9月、類まれな経営者として映画業界で名を馳せた、テリー・セメルが新CEOに就任した。セメルは、伝統的な広告ビジネスの構築に注力し、ヤフーのサイトの訪問者を増やしていった。一方、2000年から2002年にかけて、検索の世界は様変わりした。

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要約公開日 2016.06.16
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