熱狂の王 ドナルド・トランプ

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熱狂の王 ドナルド・トランプ
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熱狂の王 ドナルド・トランプ
出版社
クロスメディア・パブリッシング

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出版日
2016年10月01日
評点
総合
3.5
明瞭性
4.0
革新性
3.5
応用性
3.0
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おすすめポイント

2016年のアメリカ大統領選挙の投票日が迫ってきている。大統領候補は、民主党のヒラリー・クリントン氏と、共和党のドナルド・トランプ氏(以下敬称略)に絞られ、依然としてデッドヒートが続いている状態だ。どちらが次のアメリカ大統領になるのか、世界中の人々が選挙の行方に注目している。それは、アメリカとの関係が深い日本でも、けっして例外ではない。

本書は、ピュリッツァー賞受賞ジャーナリストによる、トランプに関する評伝の決定版だ。ドナルドの強烈な個性と生き様が、「これでもか」というぐらい鮮明に描き出されており、読んでいるだけで頭がクラクラしてくるほどである。

また同時に、トランプについて知ることは、現代のアメリカの情勢を理解することにもつながるかもしれない。わざわざ言及するまでもなく、トランプの人格ややり方は、さまざまな方面から批判を浴びている。それは絶え間ない訴訟騒ぎや舌戦の様子を見れば明らかだが、一方でトランプを支持する人も多い。1992年に彼と離婚した、一人目の結婚相手であるイヴァナ・トランプですら、選挙戦でトランプを全面的に応援する姿勢を打ち出しているほどである。

彼は間違いなく、ある種の魅力を持った人物であり、それを見誤ると、昨今のトランプ現象を理解することは難しい。いかにして「ドナルド・トランプ」という怪物が誕生したのか、本書を読んでその真相に触れていただきたい。

著者

マイケル・ダントニオ (Michael D’Antonio)
フリージャーナリスト、ライター。プルトニウム汚染の脅威を追及した『アトミック・ハーベスト』(小学館)、感染症の恐怖を描いた『蚊・ウイルスの運び屋』(共著、ヴィレッジブックス)をはじめ、これまで10冊以上の本を上梓。『Newsday』の記者時代にピュリッツアー賞を受賞。

本書の要点

  • 要点
    1
    父親から帝王学を叩き込まれたトランプは、軍隊式教育で知られる学校で揉まれながら、「勝利こそ絶対である」というメンタリティを身につけた。
  • 要点
    2
    トランプはさまざまな人脈を築く能力に長けており、メディアに露出して有名になることをなによりも重視している。
  • 要点
    3
    苦境に立たされたときも、トランプは決して不安を表に出さない。そして自分の能力の高さを誇示し、責任を他者に押しつけるという戦術をとる。
  • 要点
    4
    目的を達成するためなら手段を選ばないのがトランプという人物である。

要約

【必読ポイント!】 「ドナルド・トランプ」ができるまで

勝利は絶対である
alphaspirit/iStock/Thinkstock

ドナルド・トランプは、父フレッド・トランプと母メアリー=アンの次男として、1946年に生まれた。メアリー=アンは気が強く活発な女性で、パーティの中心的な存在だった。一方、不動産業を営んでいたフレッドは社交性に欠けていたが、家でも毎晩のように仕事の電話をするなど、熱心に仕事に打ち込んだ。

フレッドはよく、子どもたちをオフィスや建築現場に連れていった。そして、野心や規律、勤勉さの重要性を強調し、「食う側になれ」とくり返し教えた。とくに、幼いころから自分に似ていたドナルドには大きな期待を抱いており、「お前は王なのだ」と何度も言い聞かせた。

ただ、小学生のころのドナルドは並外れた問題児であり、自分の思い通りにするためであれば、「ありとあらゆる方法」を試すような子どもだった。フレッドもドナルドの素行不良には頭を悩ませ、ついに1959年、8年生になったドナルドを、軍隊式教育で知られる私立の全寮制男子校、ニューヨーク・ミリタリー・アカデミー(NYMA)に転入させる。

ドナルドがいた当時はNYMAの全盛期で、同級生にはウォール街の銀行家や中西部の工場経営者、南米の独裁者、マフィアの息子がいたほどだ。厳しい規律と競争社会に囲まれたNYMAという環境のなかで、「勝つことがすべてだ」と悟ったドナルドは、強靭さや男らしさがものを言う環境にうまく適応していく。野球にも精を出し、地元新聞の見出しを飾るほどのスター選手にもなった。ドナルドは今でもよく、このときの成功体験が自己形成のうえで重要な意味をもっていたと語る。

NYMAを卒業すると、ドナルドは地元ニューヨークのフォーダム大学に進学する。父の仕事を継ぐつもりでいたため、自由な時間はたいてい家業を手伝った。そして、不動産業というのは取引と策略の世界であり、負け組とは「自分には理解できないゲームで他人が金持ちになっていくのを、指をくわえて見ている人間」のことだと考えるようになった。

荒廃するニューヨークのなかで
Onnes/iStock/Thinkstock

フレッドの経営する会社は、ニューヨーク屈指の不動産物件保有数を誇るまでに成長していった。だが、1950年代から60年代のアメリカの多くの都市は荒廃しており、ニューヨークもその例外ではなかった。人種対立の影響が長期化する一方、中心市街地では企業が倒産し、雇用が失われ、人々の姿が消えていった。70年代に入ると、ニューヨークの人口は10%減り、史上初の2桁の減少を記録した。月に100棟を超える物件が放棄され、犯罪も増え、あらゆる地区がめちゃくちゃになった。

ドナルドはこの頃、フォーダム大学からペンシルベニア大学に編入しており、不動産のことを学びながら、週末はニューヨークで父の会社の仕事をするという生活を送っていた。そして、マンハッタンを見据えながら、世界一有名な高層ビル群をどういう姿に変えてやろうかと構想を練っていた。自分の能力に絶対の自信があり、心から成功を確信していたドナルドにとって、それは期待でも夢でもなんでもなかった。問題は、実現するかどうかではなく、いつ実現するかだけだった。

ドナルドは好機を待ちながら、その間、エンターテインメント産業に手を出し、ブロードウェイのミュージカルを共同プロデュースする。作品の評価はいまひとつで、上映期間も短かったものの、「ブロードウェイのプロデューサー」という肩書きを手に入れたドナルドは、有名な会員制のレストランやバー、ディスコに出入りするようになる。そこで、年長の実力者たちや美女たちと顔見知りになり、自身の影響力を高めていった。

交渉の天才、あるいは悪魔

ニューヨークの観光産業は、1969年から1975年まで縮小を続けていたが、それでも毎年10億ドルを超える収入を市にもたらしていた。当時のニューヨーク市長だったエイブラハム・ビームは、観光の再活性化を決意し、1977年と1978年の予算に会議場開発を盛り込み、建築候補地を3カ所指定した。その最右翼だったペン・セントラル鉄道の操車場の開発権を押さえていたのがトランプだった。

トランプの権利獲得の経緯を見ると、これまで築いていた人脈、かたくなな態度、本人の個性を頼みとする彼のやり方がよくわかる。中身より格好を重要視するトランプ流の交渉術は、その後の人生でも繰り返し使われることになる。

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要約公開日 2016.10.19
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