思い邪なし

京セラ創業者 稲盛和夫
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京セラ創業者 稲盛和夫
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出版社
毎日新聞出版

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出版日
2019年04月02日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

「新・経営の神様」の呼び声も高い稲盛和夫氏(以下、稲盛)の初の公式評伝である。今まで多くの著作や資料が公開されているが、稲盛の半生を一気通貫して振り返ることができるものは他にない。本書は、稲盛のたどった道を追体験することで、不透明な人生という航海のその先を明るく照らす灯台を見いだそうとするものである。

稲盛という人の生き方をたどると、ただひたすら一生懸命に、命がけで、人として正しい道を歩んできた純粋さを感じる。愚直なまでにまっすぐである。その姿勢は、一生懸命働くことが人生を豊かにし、人格的な成長をも実現するというメッセージを体現しているかのようだ。

今なお、特に中小企業の経営者には、稲盛の信奉者が多い。彼らほど、先の見えない現代社会で“ど真剣”に経営と向き合っている人たちはいない。稲盛の経営哲学に、普遍性と実用性、そして実体験に基づいた説得力を感じているからこそ心惹かれるのだろう。

働き方は生き方にも通じる。稲盛は、他者の利益を優先する考え方こそが社会を真に豊かにすると考えている。働き方の変革が必要と言われる現代だからこそ、今一度働くことの意義やその目的について考えてみてはどうだろうか。

稲盛の利他の心にふれ、働くことを通じて人生も豊かにできることを知っていただきたい。

ライター画像
加藤智康

著者

北 康利(きた やすとし)
昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。“100年経営の会”顧問。日本将棋連盟アドバイザー。著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞受賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』、『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(以上講談社)、『陰徳を積む銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)、『西郷隆盛 命もいらず、名もいらず』(WAC)、『胆斗の人 太田垣士郎 黒四(クロヨン)で龍になった男』(文藝春秋)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    稲盛は幼いころ、「隠れ念仏」という特殊な宗教体験をした。そこで得たのは、「なんまん、なんまん、ありがとう」という、謙虚さと感謝を忘れないための祈りの言葉だ。
  • 要点
    2
    稲盛が苦労して就職したのは松風工業という企業だ。はじめはうまくなじめなかったが、“U字ケルシマ”という部品の製造によって成果を挙げ、やがて強烈なリーダーシップを発揮するようになっていく。
  • 要点
    3
    稲盛は利他の心を忘れず、京都賞を設立したり、児童養護施設をつくったりと、次の世代のために奔走した。

要約

経営者 稲盛和夫の原点

甘ったれの子ども時代

稲盛和夫(以下、稲盛)は、昭和7年1月、鹿児島市薬師町に生まれた。

子どもの頃は甘えん坊で、四六時中母親のキミのあとを追いかけ回していた。一度泣き出したらなかなか止まらず、“3時間泣き”とも言われていたほどだ。

恵まれていたのは、周囲に“一生懸命知恵を絞り汗をかいて働く”人がたくさんいたことだ。祖父の七郎は年をとっても行商をしていたし、父の畩市(けさいち)は独立して「稲盛調進堂」という印刷会社を経営していた。

自宅の隣にあった印刷所は、稲盛にとって格好の遊び場であった。だが、忙しく働く父親の手伝いはしなかった。将来、仕事の虫になることなど想像もできないくらい、家の手伝いもろくにしない、やんちゃな甘えん坊だったという。

「なんまん、なんまん、ありがとう」
ipopba/gettyimages

政治家や経営者には信仰心の篤い人が多い。稲盛もそのひとりだ。

稲盛家では毎朝、両親とともに仏壇に手を合わせる習慣があった。畩市は子どもたちが独立すると仏壇を買って持たせたし、キミは「阿弥陀さんは、あんたらがいくら嘘を言ってもちゃんと見抜いていなさるんだからね」「お母さんもわかっているんだよ。前から見てるだけじゃない。後ろにも目があるんだから」と語って聞かせていたという。

稲盛の原点には、子どもの頃の特殊な宗教体験があった。「隠れ念仏」だ。他の親子とともに日没後の暗い山道を登っていき、そこにある民家で線香をあげて拝むという儀礼だ。この秘密めいた儀式は、畩市の故郷である小山田で、一種の通過儀礼として引き継がれている。

稲盛も集会場に赴き、お坊さんから「これから毎日、『なんまん、なんまん、ありがとう』と言って仏さんに感謝しなさい」と言われたという。「なんまん」とは「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」がなまったもの。これはその後、稲盛の中で“内なる口癖”となり、謙虚さと感謝を忘れないための祈りの言葉となった。

紙袋の行商

中学のとき、稲盛は父の仕事を手伝って紙袋の行商を始めた。平日は学校が終わってから、日曜は朝から働いた。

初めは鹿児島市内の大きな闇市を手当たり次第回った。だがやがて、効率を上げるべく、市内を7つに分け、曜日を決めて回るようにした。稲盛は闇市のおばさんたちの間で“袋売りの坊や”と評判になっていく。

ある日、菓子問屋のおかみさんが、卸しという方法を教えてくれた。おかみさんの店に紙袋を置いておけば、串木野や川内(せんだい)から仕入れに来たお菓子屋さんに売ってくれるというのだった。卸しを始めたことをきっかけに、わずか半年ほどで鹿児島市内の紙袋を全部独占することとなる。

その後、大量注文に対応するため、小学校を出たばかりの子を雇って行商を続けた。「私の事業の原点は行商にある」――稲盛はそう当時を振り返る。

【必読ポイント!】京セラにつながる道

就職
rafal_olechowski/gettyimages

歴史の浅かった鹿児島県立大学に進学した稲盛は、就職で苦労する。

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要約公開日 2019.07.30
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