西郷南洲翁遺訓

高潔な精神と広い度量
未読
西郷南洲翁遺訓
西郷南洲翁遺訓
高潔な精神と広い度量
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西郷南洲翁遺訓
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出版社
日本能率協会マネジメントセンター

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出版日
2020年07月30日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.5
革新性
4.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

明治維新の雄、西郷隆盛。大久保利通らと協働し維新の立役者となるが、その後、新政府と対立して下野。最後は西南戦争で敗れて49年の生涯を終える。

現代まで至る絶大な西郷人気は、その人柄によるものが大きい。どのような状況においても「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」を実践し、信念を貫いた。西郷の“生き様”は100年以上経っても色あせることなく、偉大なるメンターとして私たちを魅了し続けている。

本書は生前の西郷の言葉を集めて編纂された遺訓で西郷の死後13年後に発行された。驚くべきことに、この書は庄内藩(今の山形県)の旧藩士たちの手で作成されたという。庄内藩は最後まで幕府方につき、戊辰戦争では薩摩と一線を交えた「敵方」だ。なぜ彼らがこの書を作ることになったのか。その裏には、西郷の懐の深さを感じさせる驚くべきエピソードがある。

幕末~維新期はさまざまな思想・勢力が拮抗した混乱の時代である。欧米列強はアジア諸国を次々と植民地化していき、ともすれば日本も侵略されかねない状況であった。そんな中、日本が独立を守り通せたのは奇跡に近い。

大きな視野を持ち、「昔の敵」にも愛を持って接した西郷隆盛。日本が分断されず、ひとつの国にまとまれたのは、彼の「見えない功績」が大きいのではないだろうか。

本要約では『西郷南洲翁遺訓』の発行背景の後、テーマを大きく4つに分けて西郷の言葉を紹介している。いずれもシンプルで、まっすぐ心に響くものばかりだ。混迷極める今こそ、多くの人に一読いただきたい名著である。

ライター画像
矢羽野晶子

著者

道添進(みちぞえ すすむ)
1958年生。文筆家、コピーライター。国内デザイン会社を経て、1983年から1992年まで米国の広告制作会社に勤務。帰国後、各国企業のブランド活動をテーマにした取材執筆をはじめ、大学案内等の制作に携わる。企業広報誌『學思』(日本能率協会マネジメントセンター)では、全国各地の藩校や私塾および世界各国の教育事情を取材し、江戸時代から現代に通じる教育、また世界と日本における人材教育、人づくりのあり方や比較研究など幅広い分野で活動を続けている。著書に『ブランド・デザイン』『企画書は見た目で勝負』(美術出版社)などがある。「今こそ名著」シリーズでは『論語と算盤 モラルと起業家精神』『代表的日本人 徳のある生きかた』『学問のすすめ 独立するということ』『風姿花伝 創造とイノベーション』『講孟余話・留魂録 逆境に負けない生きかた』に続いて編訳。

本書の要点

  • 要点
    1
    『西郷南洲翁遺訓』は薩摩の敵方・庄内藩から生まれた。維新後、西郷の寛大な処遇に感激した庄内藩士たちは、西郷の言葉を一冊の書物にまとめた。
  • 要点
    2
    人の上に立つ者は私心を持たず、公平な心で職務に就かなければならない。
  • 要点
    3
    むやみに外国を真似ることは国力の衰退を招く。まず日本の特質を知り、その上で良いところを取り入れるべきだ。
  • 要点
    4
    「敬天愛人(天を敬い人を愛すること)」こそ、人の歩むべき道である。

要約

敵方が編纂した『西郷南洲翁遺訓』

数奇な縁で生まれた名著
miko315/gettyimages

明治二三(1890)年、『西郷南洲翁遺訓』は旧庄内藩(山形県鶴岡市と酒田市一帯)の藩主であった酒井忠篤とその家臣たちによって編纂・発行された。なぜ西郷の出身地薩摩から遠く離れた庄内藩でこの本が生まれたのだろうか。

時は幕末、浪士たちが江戸中を撹乱しては薩摩藩邸に逃げ込むことを繰り返していた。徳川幕府から江戸市中見回りの命を受けていた庄内藩は慶応三(1867)年、「テロの巣窟」である薩摩藩邸を焼き討ちにする。この件で薩摩藩では浪士を入れて64名が命を落とした。

明治元(1868)年、戊辰戦争も終盤の頃、幕府方の庄内藩は薩摩藩を中心とした新政府軍を迎え撃ち、善戦の末降伏した。焼き討ちの遺恨により庄内藩主と重臣たちは切腹を覚悟したが、参謀の黒田清隆は終始庄内藩主に礼儀を尽くし、重臣たちにも寛大な処遇をした。後に、この処遇は西郷隆盛の指示によるものと判明した。

感激した酒井忠篤は西郷隆盛に親書を送り、明治三(1870)年には藩主以下70数名が鹿児島を訪れた。彼らは西郷から兵学を学び、その後何度も西郷と接する機会を持った。そして折に触れ、西郷が語った言葉を帳面に書き写したり覚えたりした。

この庄内の旧藩士たちによる一連の聞き書きが、『西郷南洲翁遺訓』となったのだ。

リーダーシップの指南書

『西郷南洲翁遺訓』の内容をひとことで説明すると、「上に立つ指導者の徳をみがくための教え」である。この教えの根本にあるのは儒学の『大学』だといわれる。

儒学はもともと支配者の学問である。いかに天下国家をよく治め、人々に平和をもたらすかということである。『西郷南洲翁遺訓』はリーダーシップをとるべき人のよい指南書として、その後も長く読み継がれていった。

幕末~維新にかけては世の中がめまぐるしく変化し、ニューノーマルな局面が出現した。このような時代においては、スピーディーで強い意思決定が求められる。西郷隆盛はそうした修羅場をいくつもかいくぐってきた。この本には、待ったなしの状況で決断を下してきたリーダーとしての見識が詰まっている。上に立つ者が迅速に決断すべき場面は、現代のビジネス環境にも通じるだろう。

『西郷南洲翁遺訓』には、有名な「敬天愛人」を含め「天」という言葉が随所に出てくる。「天」とは人智の上にある存在、自然の道理といった幅広い解釈ができる。しかし同時に、単なる理想論にとどまらず、私たちが日々向き合う問題にどう取り組めばいいかという、具体的な方法論も示している。

次からその内容を紹介していこう。

【必読ポイント!】 リーダーシップ

リーダーの資質
marchmeena29/gettyimages

重要な役職や地位にある者は、わずかでも私心をさしはさんではならない。自身のことはもちろん、出身地や出自が有利になるよう取り計らうなどもってのほかだ。どんなことがあっても心を公平にすること。そして、天の道理を実践することが重要だ。この心がけを持って、日本中から広く有能な人材を選ばなければならない。それが天の意思である。

もし有能な人物を見つけたら、すぐにでもその人に役職を譲る気構えを持たねばならない。どれほど過去に功労があったとしても、その褒賞として官職に就かせることはよくない。その人物に才能がないならば、なおさらである。

重要な官職というものは、その任に耐えられるだけのすぐれた人物に任せるべきである。維新などの功労者には、官職ではなく俸禄を授与して報いるのがよい。

身を粉にして働くこと

人の上に立つ者は、民の手本となることが求められる。どんな時も慎み深く、品行を正しくすること。おごりたかぶったり、偉そうな態度をとったりしてはならない。また、つねに倹約につとめ、職務に懸命に励むべきだ。

しかし、これだけでは十分でない。

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要約公開日 2020.12.31
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