野生の思考

未読
野生の思考
出版社
みすず書房

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出版日
1976年03月30日
評点
総合
4.3
明瞭性
3.5
革新性
5.0
応用性
4.5
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おすすめポイント

「レヴィ=ストロースという名前を一度は聞いたことがある」という人は、おそらく少なくないだろう。人文知に関心のあるものであれば、彼が「構造主義」を広め、西欧社会の自文化中心主義に対して警鐘を鳴らしたことも知っているかもしれない。とはいえ彼の著作をしっかり読んだことがある人は、ひょっとするとかなり珍しいのではないか。というのも読み進めていくためには、西洋思想史の理解はもちろん、他文化に対する豊かな想像力も求められるからである。だがたとえ苦労してでも、彼の著作を読む価値は大きい。

なかでも本書『野生の思考』は、「戦後思想史最大の転換をひきおこした」とされる代表作だ。本書の主題は、「文明人の思考と未開人の思考は異なる」という幻想の解体である。「未開人」の特徴として考えられた呪術的・神話的思考は、実のところ「文明人」も日常的に行なっていることを、レヴィ=ストロースは指摘した。文化によって思考が異なるのではなく、単に人間には2つの思考モードがあるだけ――すなわち、限られた目的に即して効率を上げるための「栽培思考」と、ありあわせの道具で多種多様の仕事をこなす「野生の思考」があるというわけである。

こうしたテーゼをもとに、レヴィ=ストロースは「構造主義」と呼ばれる理論を紡ぎ出し、当時メインストリームであった進歩史観的な考え方に対して、「どの文化も根本的な構造は変わらず、あらわれ方が異なるだけ」と真っ向から立ち向かっていく。そしてそれが単なる蛮勇でなかったことは、奇しくも「歴史」が証明しているのである。

著者

クロード・レヴィ=ストロース (Claude Lévi-Strauss)
ベルギーに生まれる。パリ大学卒業。1931年、哲学教授資格を得る。1935-38年、新設のサン・パウロ大学に社会学教授として赴任、人類学の研究を始める。1941年からニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで文化人類学の研究に従事。1959年コレージュ・ド・フランスの正教授となり、社会人類学の講座を創設。1982年退官。アカデミー・フランセーズ会員。著書『親族の基本構造』(番町書房 1977-78、青弓社 2000)、『人種と歴史』(みすず書房 1970)、『悲しき熱帯』(中央公論社 1977)、『構造人類学』(みすず書房、1972)、『今日のトーテミスム』(みすず書房 1970)、『神話論理』(全5冊、みすず書房 2006-2010)、『仮面の道』(新潮社 1977)、『構造・神話・労働』(みすず書房 1979)、『はるかなる視線』(みすず書房 1986,1988)、『やきもち焼きの土器つくり』(みすず書房1990)、『遠近の回想』(共著、みすず書房 1991,増補新板 2008)、『神話と意味』(みすず書房 1996)、『レヴィ=ストロース講義――現代世界と人類学』(サイマル出版会 1988を改題、平凡社ライブラリー 2005)、『みる きく よむ』(みすず書房 2005)、『大山猫の物語』(みすず書房 2016)、『ブラジルへの郷愁』(みすず書房 1995,中央公論新社 2010)他。

本書の要点

  • 要点
    1
    「野生の思考」は「もちあわせ」の道具を活用することで、多種多様の仕事をこなすことを志向する。それは特定の目的において効率を高めるための「栽培思考」とは異なるが、けっして劣っているわけではないし、両者は共存しうるものである。
  • 要点
    2
    多種多様に見える社会も、構造レベルで見れば根本的に異なっているわけではない。トーテミズムのように、自然種にもとづいて作られる分類を特別視する理由はない。
  • 要点
    3
    さらなる発展を望む文明がある一方で、社会の安定を望む文明もある。すべての文明が進歩史観的な考えを持っているというのは誤りである。

要約

【必読ポイント!】 「未開の思考」は存在しない

具体の科学
svetabelaya/gettyimages

動植物の種類の名前は詳細にあるのに、「樹木」や「動物」といった抽象概念をもたない言語のことを、西洋社会は「未開人」の抽象的思考能力の欠如を証明するものとみなしてきた。

だが実際は「未開人のもの」とされた語の中にも、抽象的な言葉は数多く存在している。単に言語の切り取り方が、言語によって異なるというだけの話だ。その分野における用語の抽象度の違いを決めるのは、知的能力ではなく、その民族社会における関心の違いである。

そもそも「カシワ」や「ブナ」という言葉だって、「樹木」と同じく抽象概念である。ただその解像度が異なるというだけだ。むしろ樹木の種類を指す言葉が大量にあるとしたら、そちらのほうが概念的に豊かな言語ということになるのではないか。

概念が豊富ということは、現実のもつそれぞれの特性に対して、綿密に注意を払っていることの証だ。それが近代科学と同一レベルにあるかどうかはともかく、知的操作と観察方法という点においては、どちらも同じであることが言えるだろう。

また、西洋社会は「未開人は実用的な知識しか関心がない」と考えがちだが、これも実態は異なる。たとえばあるアメリカ大陸のインディアンたちは、食用にも社会的にもほぼ用いない爬虫類について、膨大な知識を持っている。それは知識欲のあらわれであり、このような例は世界中のありとあらゆるところで見られる。すなわち彼らは、「有用だから動植物に関する知識を蓄える」のではなく、「知識が先にあって、そこから有用・有益という判定を下す」のである。この点において、それぞれの文明間に大きな差異は存在しない。

呪術と科学は何が違うのか?

私たちが「未開思考」と呼ぶもの(=呪術)も近代科学も、自分たちの世界観の中に物事を位置づけ、異質なものを理解しようとする。呪術と科学の違いは、次のように表現できる。呪術はある因果関係を見いだしたらそれを拡張し、さまざま対象に当てはめようとするが、科学の場合はさまざまな場合に分けて、「ある条件下ではこれが成り立つ」という態度をとる。

このことからもわかるように、呪術と科学は完全に断裂したものではない。歴史を振り返れば、むしろ呪術のほうが科学より先に因果について感づいている。そういう意味で、呪術は科学に先立って生まれたものともいえる。

かといって、呪術が単なる科学の出来損ないというわけではない。呪術を科学や技術の発達の前段階とみなすだけだと、呪術的思考についての理解を損なってしまう。呪術的思考は、それ自体で諸要素をまとめた一つの体系を構成しており、したがって科学の体系からは独立したものである。両者は対立するものではなく、あくまで認識の形態が異なるだけなのだ。

たしかに科学のほうが、有効に働く場面は多い。だがそれは、根本的な知的操作の性質が異なるからではなく、適用される現象のタイプが異なるからである。

ブリコラージュと野生の思考
AntonioSolano/gettyimages

近代科学の誕生はわずか数世紀前とされている。しかし科学的な態度の起源は、新石器時代まで遡ることができる。この時期に、土器や織布、農耕、動物の家畜化など、文明を形成するうえで重要な技術が生まれたからだ。

技術の誕生にはいずれも、何世紀にもわたる観察と仮説、およびそれらにもとづく実験と検証が不可欠である。そこにあるのは科学的な精神、根強い好奇心、知る喜びにあふれた知識欲にほかならない。こうした「具体の科学」は、近代科学と同じく学問的であり、依然としていまの文明の基盤をなしている。

このような科学のあり方は、いまの私たちの文明の中にも見いだせる。それは「ブリコラージュ」(器用仕事)と呼びうるものだ。ブリコラージュは、

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要約公開日 2021.06.08
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