社会に分断や争いが増え、これまで以上に話し合いの重要性に目が向けられる時代にあって、「話し合いは面倒くさい、時間の無駄」という「あきらめ」が広がっているように感じられる。そもそも、「誰もが意見を持ち寄り、それらが受容され、納得感をもって、物事が決められている」話し合いは、どれだけ成立しているだろうか。
日本人が話し合いを苦手とする代表的な理由は、「①同質性の高い集団」「②子どもの頃から、ダメな話し合いを積み重ねている」「③正解主義に陥っている」という3つだ。
日本人は単一に近い民族であり、「個のすべてをかけて集団に関わることをともに求め合う」同調圧力の強い傾向がある。一見すると仲がよさそうな間柄でも、「心おきなく自分の意見を言っても、村八分にされない」ような心理的安全性が保たれているとは言えない。「心理的安全性は、話し合いのための基礎的資源」なので、同調行動への圧力が強い日本では話し合いに対して困難を感じる人は少なくないのだ。
そして、家庭や学校教育の場では、相手の話を最後まで聞くといった話し合いのルールが守られておらず、「嫌な経験」を積み重ねて、話し合いへの苦手意識を助長している。さらには、暗記・記憶が中心である一般的な一斉授業のために、「正しい答え」を探す正解主義的な考え方が強まっている。
正解がないことを対話によって考えるのが話し合いであり、多くの人に関わる「大事なこと」には、たいてい「唯一の答え」はない。
「正解」が見えにくい不確実な現代社会では、話し合いがより必要になってくる。
かつてはビジネスでも学業でも、「これをやれば大丈夫」という「勝ちルート」が存在した。その時代には、「子どもの創意工夫」より「基礎学力の定着」「言われたことをやりきる力」に焦点が当てられていた。現代の多様化するニーズに応えるためには、さまざまな立場や所属の人々が強みを持ち寄り、話し合うことが必要となる。
また、グローバル化と高度な情報化などにより企業の同質性が失われている今、職場の多様性にも対応していかなくてはならない。同じとされてきた日本人同士でも、意見や価値観の違いが意識され始めている。多様性をポジティブな力に変えるためには、本当に腹を割って話し合い、時間をかけて合意をつくることが大切だ。
民主主義が世界規模で危機的な状況に陥りつつあることも、話し合いの作法を今学ぶべき理由のひとつだ。排外主義的な政策を推し進めたドナルド・トランプ氏の登場、ウクライナとロシアの戦争、民主主義とは対照的な政策をとる中国の台頭などが起きている。日本でも、国民への説明責任を果たさない国会答弁が繰り返され、「言葉の貧困」と「コミュニケーションの軽視」が問題になっている。
日本財団の調査によれば、「自分で国や社会を変えられると思うか」という質問に対して肯定的な回答をした日本の若者は、全体の18.3%にとどまったという。他国と比べてもワースト1位の結果である。
だからこそ、民主主義の根幹たる「話し合いの意義」に立ち返らなければならないのだ。
話し合いのプロセスは、大きく「対話」と「決断(議論)」の2つのフェイズに分けられる。「対話」では、お互いの意見の違いを明確にして、認識し合うコミュニケーションを行う。「決断」では、どれが優れている(マシである)意見かを理性的に比較検討し、決めるための議論をする。
「Aという意見をもつAさん」と「Bという意見をもつBさん」が話し合いをするとしよう。まず対話の段階では、双方が持つ意見の「違い」を認め合う。そして、AとBのさまざまな情報を比較検討し、最終的にどちらにするのかを決める。
このとき、自分たちがいま「対話」と「決断」のどちらのフェイズで話しているのか、意識を共有しながら進めることが大切だ。
「残念な話し合い」ももちろんある。
たとえば、対話で相手の意見をいったん受容することができず、最悪の場合「論破」してしまうケースだ。相手が何を言っても、「いや、そうじゃなくない?」「おかしくない?」と否定や反論を繰り返す。自分に自信がない、相手より優位に立ちたいと思いこんでいるときに陥りやすい。あるいは、自分の意見をただちに表明することが「相手への貢献」になると思い込んでいるケースもある。こういう人が多い話し合いでは、雰囲気が悪くなってしまう。
逆に、「対話が大切だ」とひたすら対話を行って、議論や決断をしない「対話ロマンティシズム病」もある。意見の違いが表出するだけで、いつまでもわかり合えない。さらには「いろんな意見があって当然だよね」と、相対主義的な話し合いに終始して物事が先に進まない「みんな違ってみんないい病」もよく見られる。
こうした状態を続けていると、最も話し合いから遠い「対話ゼロで、ただちに多数決」の状況に陥ってしまう。
対話という言葉のイメージは人によってそれぞれだ。カフェで談笑しているイメージかもしれないし、外交を想像する人もいる。対話について具体的につかむには、「非対話的なもの」を考えるとよい。それには次のような3種類がある。
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