「メルセデス・ベンツ」のイメージというと、世界トップの高級大型セダンや、成功者やお金持ちが乗る大人なクルマという答えが返ってくるかもしれない。低価格競争の渦中にある日本において、「高級車のマーケティングやセールス」を続けていたら「売れない」現状を変えられないと著者は危機感を抱いた。新しい顧客に出会うため、イオンモールでの外部展示など、既存のメルセデス流とは対極の手法で、販売店を巻き込んだ取り組みを本格化させていった。
2011年に生まれた「メルセデス史上、最高傑作のC。」というCMは、コンサバティブなメルセデスの広告の常識を覆した、冒険的なメディア戦略である。新しいことをするときに、周囲が大賛成というのはレアケースだ。そこで、著者はブランドを守るという自負のもと、綿密な計画を立てたうえで、何があっても突進する覚悟と勇気を持ち、試行錯誤を始めた。
メルセデスが売っているのは、クルマではなくスタイルである。メルセデスの幅広い選択肢を用意することで、さまざまな年代、家族構成、考え方、職業の人それぞれに合ったライフスタイルを提案したいという願いが、メルセデス「らしくない」CMに込められている。
目標数は絶対であり重要である。しかし、販売台数だけを追求して顧客の満足度を損なうようなことをやってしまうと、たちまちブランドイメージは壊れてしまう。「変えてはならない部分」と、「変えるべき部分」を知って、「変わらずに変わり続ける」ことを実践しているからこそ、メルセデス・ベンツのブランドは100年を超えて生き残っているのである。
著者は、ブランドの魅力をより広くアピールするために、「クルマを売らないショールーム」をつくろうと決めた。「メルセデス・ベンツ・コネクション」という名前には、クルマを買う気がない人もふらっと入れて、新たな人とのつながりが生まれる場にしたいという意味が込められている。
しかし、土地の借り入れや運転資金、人件費などの課題があり、途中で計画が白紙になりかけるという危機に見舞われた。著者は、本社の役員たちを説得するために、ショールームの模型を抱えてドイツに飛び込み、2011年から18カ月間、ショールームの大実験が始まった。工事開始後、東日本大震災で工事資材の搬送がストップし、オープンの延期はやむを得ないという状況に陥った。しかし、著者は「できない理由がいくらあっても、できる方法は必ず探し出せる」と考え、第一線のメンバーにも、その情熱が伝播していった。その結果、予定通りにショールームはオープンを迎え、予想を上回る大評判になったという。無謀と言われた日本発のアイデアは世界に認められ、同様の施設がドイツをはじめ、世界40カ所で展開することとなった。
著者が入社してからの四半世紀は、「メルセデスな流儀」を学ぶプロセスでもあったという。最初の配属先はわずか5人しかいない営業部だった。クルマの輸入から販売ルートに載せるまでの業務を、やりながら体に叩き込んでいく日々だった。
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