今治タオル 奇跡の復活

起死回生のブランド戦略
未読
今治タオル 奇跡の復活
今治タオル 奇跡の復活
起死回生のブランド戦略
未読
今治タオル 奇跡の復活
出版社
朝日新聞出版
出版日
2014年11月20日
評点
総合
3.8
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
3.5
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おすすめポイント

「今治タオル」と言えば、いまや全国的に知られるようになった、高品質タオルの代名詞である。そしてその存在を有名たらしめているのは、「地域経済再生」というドラマがそこにあったからではないか。

かつては国内最大のタオル生産地として活気づいていた今治だが、海外の安価な製品に押されて、今治タオルの生産高はピーク時の5分の1にまで激減していた。タオル生産に携わるメーカーは小規模で社数も多かったため、当時は一致団結して事態の解決に取り組むようなまとまりがなかった。こうした問題は他の地方でもよく見られ、多くの場合は少子高齢化によって次代を担う人材もおらず、問題は深まるばかりだ。

それゆえ、その人気はいまや日本にとどまらず、海外の品評会でも注目を集める存在となった今治タオルの復活には、大きな注目が集まっている。ユニクロやセブン-イレブンなどのロゴやブランド構築を務めたクリエイティブディレクター/アートディレクターの佐藤可士和氏が参画した今回のプロジェクトは、受注から問題把握、方針決定、解決策の実施に至るまで、綿密に記録が録られていた。こうした記録をもとに書かれた本書は、まるでドキュメンタリー映画を見るような面白さもある。他地域のケースにも応用できるようなヒントが満載で、地域振興に悩む多くの方に参考になるだろう。

実は私も以前、今治市を訪れて現地でタオルを購入し、その肌触りに感激したことがある。本書を読むと同時に、今治タオルもぜひ購入していただきたい。きっと日本のモノ作りの素晴らしさを再認識できるはずだ。

ライター画像
苅田明史

著者

佐藤 可士和
クリエイティブディレクター/アートディレクター。1965年東京生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。株式会社博報堂を経て、2000年にクリエイティブスタジオ「サムライ」を設立。主な仕事に、ユニクロ、楽天グループ、セブン-イレブン・ジャパン、今治タオルなどのブランドクリエイティブディレクションのほか、カップヌードルミュージアム、ふじようちえんなどのトータルプロデュースや、国立新美術館などのシンボルマークデザインがある。毎日デザイン賞、東京ADCグランプリほか、数多くの賞を受賞している。慶応義塾大学特別招聘教授、多摩美術大学客員教授。ベストセラーとなった『佐藤可士和の超整理術』(日本経済新聞出版社)など著書多数。

四国タオル工業組合
1952年に、四国タオル工業組合の前身となる中四国タオル調整組合が、国内タオルの生産数量を制限する生産設備登録制度の運営管理を主な事業として設立される。近年は、日本一のタオル産地・今治においてさらなる発展を遂げるべく、タオル製造業に関する指導・教育をはじめとしたさまざまな事業に日々取り組み、その活動範囲を海外へと広げつつある。

本書の要点

  • 要点
    1
    輸入品の増加によって今治タオルの生産数量はピーク時の5分の1にまで落ち込んだうえ、海外ブランドのOEMに依存した代償に、企画・営業・販売という術を問屋に頼る体質になっていた。
  • 要点
    2
    今治タオルの本質的価値をわかりやすく伝えるために、複雑で繊細な柄を表現できる技術をあえて用いず、様々な「最高の白いタオル」をキープロダクトとして設定した。
  • 要点
    3
    3ヶ月にわたって検証された今治タオルのロゴマークは、シンボルであると同時に、商品に縫い付ける織りネームに用いられ、「安心・安全・高品質」を保証する役割を果たしている。

要約

存亡の危機に立たされた今治タオル

5分の1にまでしぼんだ「タオルの産地・今治」
Amenohi/iStock/Thinkstock

今から約90年前、愛媛県今治市は「四国のマンチェスター」と呼ばれるほど活気に満ちた国内の一大織物産地だった。しかし、1990年代後半から輸入品が激増し、日本のタオル産業は苦境に立たされる。今治タオルは国内生産の4割以上を占めていたが、1991年をピークに、生産数量は5分の1にまで落ち込んでしまった。

こうした苦境は、OEMに依存した商売の代償だったとも言える。1970年代後半から今治のタオルメーカーの仕事の中心はOEMとなり、バーバリーやセリーヌといったブランドのタオルを受託製造するようになった。つくった製品は100パーセント問屋が引き受けてくれるため、メーカーが在庫を抱えることがない。しかし、輸入品が急増し、国産のタオルが売れなくなり、産地の危機が叫ばれるようになったときには、多くのメーカーが企画、営業、販売という術を、問屋に頼る体質になっていたのである。

セーフガード発動せず

こうした状況に危機感を抱いた四国タオル工業組合は、2000年から行動を開始した。輸入に歯止めをかけるためにデモ行進を行い、翌年には中国とベトナムから輸入されるタオル製品に対するセーフガードの発動を経済産業省に申請したのだ。

しかし、セーフガードは2004年に未成立が決定した。もしも日本が繊維産業の分野でセーフガードを発動すれば、自動車や重工業の分野で中国が報復に出る可能性がある。小さな地場産業を救うことで日本の基幹産業に影響が出ることは、経産省としても避けたいことだったのだろう。

ただし、経産省は日本の繊維産業を見捨てたわけではなく、独自に小売りに着手しようとする繊維事業者に対して必要な費用の3分の2を補助する計画が打ち出された。組合はこれを受けて「新産地ビジョン」を策定。「産地コーディネーターの導入」「マイスター制や検定試験の導入」「海外でのアピールと出店」といった取り組みが掲げられた。この新産地ビジョンが構築されていたことが、今治タオルに“奇跡の復活”をもたらすことになるブランディング・プロジェクトへと結びつくのである。

【必読ポイント!】 今治タオルのブランド戦略

湯上り1分のひらめき
Sandra Cunningham/Hemera/Thinkstock

佐藤可士和氏の会社『サムライ』のオフィスに、今治の四国タオル工業組合から相談を受けたコンサルタント、富山達章氏が訪ねてきたのは2006年6月のことだった。

このブランディング・プロジェクトを依頼された時点では、「この仕事を引き受けるのは無理かな」という気持ちを抱いていたという。厳しい状況を挽回するためのアイデアは出せるが、それを実行できないのではないかという不安が大きかった。さらに、四国タオル工業組合は借金まみれで、このプロジェクトに使える予算は他の大手企業がブランディングに投入する金額に比べるとケタ違いに少なかった。また、組合は100社以上のメーカーによって構成されており、容易に会社を動かせるような体制ではない。

ところが、その気持ちはたった1分で覆った。「よし、やろう!」という決断をさせたのは、今治のタオルそのものだったという。

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要約公開日 2014.12.26
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