小澤隆生(以下、小澤)の祖父は戦後に木炭で財を成し、その後、生コンという成長産業へ進出した起業家であった。父が跡を継いだが、ホテル事業のため銀行から60億円を融資された直後に市況が変化し、そのまま巨額の借金が残ることになった。
早稲田大学法学部に在籍していた20歳のとき、父から借金の事実を打ち明けられた小澤は、「親父の借金を返すために60億円以上稼ぐにはどんな職業を目指すべきか」という基準で長者番付と日経新聞を徹底的に調べ、起業しか道はない、しかも資金が少なくても可能な成長市場IT分野で挑むと決意する。
ところがプログラミングを学ぼうとするもまったく理解できなかったため、未経験からIT企業に就職して学ぶ戦略を立てた。当然断られ続けたが、CSKから内定を得る。
入社した1995年はITにおける節目の年であった。ウィンドウズ95が登場した年であるし、アメリカのビル・クリントン政権と日本の橋本龍太郎政権による新自由主義的政策は、IT起業にとって追い風となった。
小澤は白いスーツ姿で内定式に現れ、同期のSE職135人全員に「僕は将来、起業を考えている。一緒にやろうというヤツいないか?」と声をかけて、仲間集めを始めた。その過程で技術に強い同期の岡元淳と出会う。
4,000冊以上の要約が楽しめる