【必読ポイント!】 「老害」と呼ばれたくない私たち
かくもデリケートなミドル社員

中高年ビジネスパーソンの心の内は、外から見える以上に複雑で繊細だ。長年、組織の一員として自分の仕事を淡々とこなし、会社とは労働を提供し対価を得る場所だと割り切る。そうやってキャリアを全うする生き方も、決して悪いものではない。しかし、人間というのは厄介な生き物だ。心の奥底には常に、「なぜここにいるのか、何のために生きているのかという根源的な問い」を抱え、人生における意味や目的を渇望してしまう。
特に、組織の序列において「年齢の逆転」が常態化した現代では、この葛藤がより切実なものとなる。かつてのトップバッターから外され、「ついに戦力外か」と自らの居場所を見失いつつある中高年にとって、周囲からの慰めや気遣いは時に、とどめをさす残酷な凶器となる。
たとえば、年下の上司や若い社員から「思いやり」を示されたとき、頭では「ありがたいことだ」と理解しようとするが、心はその優しさを拒絶してしまう。なぜなら、その配慮は同情にしか感じられず、「自分の弱さを突きつけられた」証拠であり、見下されたような屈辱感を伴うからだ。「会社のために尽くし、理不尽に耐え、積み上げてきた自負心にヒビが入り」、自信喪失という痛みが静かに広がっていく。
日本の会社組織には独特の「ウチとタテ」の人間関係があり、上司と部下の間には「義と情」という精神的な結びつきが存在してきた。だからこそ、年齢や役職の逆転は、双方にとって人間関係を極めて難しくする。
年上部下も年下上司も、この新たな関係性のなかで試行錯誤を繰り返している。異なる価値観を持つ者同士が、互いに気を使い合いながらもすれ違っていく。この感情の摩擦こそが、現代の職場における真の「ジェネレーションギャップ」なのである。
「老害」を自称してしまう心理
本来「老害」とは、組織の新陳代謝ができず高齢者だらけとなっていることによる弊害を批判する言葉だった。それが今、誰かに指弾されたわけでもないのに、「これは老害意見ですけど……」と自虐的に語る40代、50代があとを絶たない。
自らを「老害」と呼ぶ深層心理には、大きく5つのパターンがある。




















