フェミニズムは何を問題とするのか
「女性であること」の当たり前を問い直す

フェミニズムとは、女性に対する差別と抑圧があることを問題として、「男女平等」「女性の社会的地位の向上」「女性解放」などを目指す思想や社会運動のことである。女性への差別や抑圧と言われても、多くの人は困惑してしまうだろう。人口の約半分は女性であり、身の回りのどこにでも女性がいるため、差別や抑圧という「特別な状況」があるようには感じられないからだ。それゆえ、むしろ、フェミニズムは「強い正義観」で「大したことではないことに大騒ぎしているわがままな主張」だと見られがちである。
「『女性であること』に対する社会的意味づけ」をジェンダーと呼ぶ。女性であるとはどのようなことなのか、その意味は、「当たり前」とされやすいからこそ見つけにくい。かつては、結婚による退職が「当たり前」だったため、女性に「嫁にいけないぞ」等と発言することが日常的であったが、今ではハラスメントとして受けとめられる。このように、「女性である」ことの社会的意味合いは、「社会や時代によって大きく変化」する。それにもかかわらず、ほとんどの社会や時代では、その社会に特有の「女性である」ことの意味合いが、昔からずっと変化していないか、女性の本来あるべき姿としてとらえられている。だからこそ、過去と現代、他の社会との比較から、「女性である」ことの「当たり前」を見つめ直すことが必要だ。
それぞれの時代において、フェミニズムは「常識外れ」で「突拍子もない」とみなされた女性たちの思想と運動だった。しかし、その「常識外れ」がやがて、次の時代では社会全体で「当たり前」として受け入れられていったのだ。このように理解すれば、現代社会においては「常識外れ」で「どこか変」と見られているかもしれない、女性たちの懸命な闘いがあることも見えてくるだろう。
近代が生み出した女性問題
近代の市民革命によって生まれた市民社会では、誰もが自由で平等であると主張される一方で、「女性はその本性において男性よりも劣る」「女性は感情的であり理性を持たないので政治的権利の行使は無理である」といった理由で、女性の市民権が否定された。女性は男性によって保護される存在となり、自由と平等の権利が否定されたのだ。「人間は誰もが平等な権利を持つ」と規定しながら、「女性は平等な権利を持たない」とするには、「女性は人間ではない」ということを前提とする必要があった。




















