【必読ポイント】 「自在」に生きるために
居着きを去って自在を得る

人間が愉快な状況にあるときには、恐怖や怒りにとらわれることなく、余裕を持てるため、間違ったことはしないのではないか。では、「愉快に生きていくための作法」とはどのようなものなのだろうか。
現代では、すぐにイエスかノーか、二者択一を迫られるが、簡単に答えられない問いのほうが多い。「中腰」での未決定の状態に耐え、時間が解決するのを待つための精神力と体力、すなわち「知的な肺活量」を持つことが必要だ。
物書き兼武道家として活動する内田は、「居着きを去って自在を得る」ことを修行の目的としているという。武道では、自分が釘付けにされている状態、「足裏が地面に貼りついて身動きができない状態」のことを「居着き」と呼ぶ。これは、「次に何をするかがもう決まっていて、選択の余地がない状態」のことでもある。立ち合いで、相手の出方を待って反撃しようとすることや、「何とかして相手に勝とうと思う」ことなどを指す。しかしそうして居着くことで、かえって後手に回り、必ず負けてしまう。相手や勝ち、技に居着かず、反対に「自在」の境地に入って、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」。それが、武道の修行で目指されることだ。
どこが「いるべきところ」で、何が「なすべき所作」なのかをわかるようになる方法とは、「ノイズができるだけ少ないところに行き、ノイズができるだけしない動きをする」ことだ。これは、「多くの人がふだん何気なくやっていること」であり、それほど難しいことではない。人は、不自然な動きをしていると、「嫌な感じがする」「息が浅くなる」といった感覚的なノイズを感じ取る。あるタイミング、場所、所作によっては濁りが消えて、心身が透明になったように感じることもある。私たちは道を歩くときなど、いつも無意識にそれをやっているはずだ。
「敵」とは、「私の自由を損ない、可動域を制約するもの」と定義できる。「壁」も動きを制約するが、だからといって壁を敵としてぶち破る必要はない。ドアを開けたり、外から隣の部屋に回ったりすればよく、それこそが「自在」ということだ。
昔は、子どもたちが鬼ごっこやかくれんぼのような遊びを通して、殺気や邪気を感じ取るという、生存に必要な能力を会得していたはずだ。遊びのなかでの同調、模倣は、生き延びるための社会的訓練になるのである。



















