チェスの起源ははっきりとわかっていない。チェスの原型と思えるゲームが、古代インドで広まり、6世紀頃にアラブやイスラム諸国に伝わったという。中世後期までには南ヨーロッパに普及したようだ。15世紀の終わりにはヨーロッパ全体に広まり、クィーンやビショップといった駒も加えられ、ゲームがよりダイナミックなものとなっていった。地域や文化による違いはあるが、18世紀にプレーされていたチェスは今日のチェスとほぼ変わりがない。
世界中のチェス人口は数億人と推定されている。チェスが伝統的に盛んな地域は旧ソビエト連邦諸国であるが、その人気は世界各地へと広まっている。近年ではインドが輩出した世界チャンピオンのヴィスワナーン・アーナンドの影響で、チェスはインドでも人気を博しているという。
一般的に、一流チェスプレーヤーは知能レベルが高いという印象がある。確かに彼らは記憶力、集中力ともに優れている。一方でチェスプレーヤーには良きにつけ悪きにつけ、様々な誤った印象がつきまとう。
著者はチェスのスキルと一般的知能との間にほとんど相関関係はないと考えている。チェスプレーヤーの優劣を決定する能力は明らかではないという。
プロのチェスプレーヤーは、ゲームのオープニングと呼ばれる序盤の動きを入念に研究し、その知識を実際のゲームの際に記憶から引き出している。駒を動かしている間、脳内でも、数学の問題を解いているときに活動する部位よりも視覚的空間を司る部位のほうが大きく活動している。
優れたプレーヤーほど、駒の配置のパターン認識に長けており、情報をチャンク(塊)として拾い上げるのが得意だ。心の目を通して、これらを分析し、駒の動きを考えていく。能力が同等レベルのプレーヤー同士であっても、駒の配置、戦略、プレーのスタイルは様々であり、それらが創造性や卓越性の源泉になっているといえる。
しかし、「チェスプレーヤーには反社会的な面がある」という印象も存在している。頭脳の処理能力が高くなると、情緒面に欠落している部分があるのではないかというわけだ。このような先入観が生じるのは、人々がチェスをよく知らないことに起因していると著者は推察している。実際のところチェスは、6歳児でもプレーできる楽しいゲームなのだ。
著者が育った旧ソビエト連邦では、チェスは国民的な趣味の一つであり、まるでプロスポーツのように見なされていた。旧ソビエト連邦諸国からのプレーヤーが長年、世界チャンピオンの座に君臨していたこともうなずける。1970年代、著者は生誕地アゼルバイジャンでチェスに没頭していた。
この時期、アメリカ人のチェスプレーヤー、ボビー・フィッシャーがことごとくソビエトの一流プレーヤーを打ち負かしていた。フィッシャーが世界チャンピオンに輝いたとき、ソビエトは国家の威信をかけても、世界チャンピオンのタイトルを取り返そうと躍起になっていた。
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