アリババは、主要なグループ会社、関連会社のいくつかの強みを掛け合わせることで、中国市場において支配的な影響力を持っている。
淘宝網(タオバオ)と天猫(ティーモール)はアマゾンのような小売りサイトであり、中国の活気に満ちた露店や派手なショッピングモールをオンライン上に出現させ、売り手は非効率的なリアル店舗の運営に悩む必要がなくなった。また、アリババは、菜鳥(ツァイニャオ)ことチャイナ・スマート・ロジスティクスに出資して物流システムを構築し、商品が顧客に間違いなく、時間どおりに届くことを確実にしている。そして、アリババ傘下の支付宝(アリペイ)は、顧客が商品を受け取ったその時に課金する仕組みであり、そのため中国では最も人気のあるオンライン支払システムとなっている。アリペイと、いつでも現金を引き出せるオンライン上のミューチュアルファンド、余額宝(ユエバオ)を利用して、顧客は安心して買い物ができる。
創業者ジャック・マーは、アリババの成功はこの三つ――電子商取引、ロジスティクス、金融――でつくられる「鉄の三角形」によるものだという。しかし、ジャックその人こそ、ほぼ間違いなくアリババの最重要な財産なのである。
ジャックは、世界第六位の規模のインターネット企業のリーダーであるようにはとても見えない。テクノロジー関連の会合では、「コードが何を意味しているか自分ではさっぱりわからない」と発言しているし、いまだに「インターネットの裏側にあるテクノロジーを理解していない」という。
ジャックは、一風変わったCEOでもある。アリババの哲学は「顧客第一、従業員第二、株主第三」であると胸を張る。ビジネススキルや技術的なスキルを通してではなく、感情的に人々に訴えかける。ジャックはユーモアの達人でもある。「インターネットはビールのようなものだ……いいところは下のほうにあるけれど、泡なしには……誰も飲みたいとは思わないだろう」。同時に彼は哲学的でもあり、従業員には、シンプルに、「幸せに働いて、真剣に生きろ」と伝える。
この、ショーマンシップとユーモアと魅力のユニークな混在が、「ジャックの魔法」と呼ばれるが、彼という人はいったいどのような出来事によってつくられたのだろうか。
ジャックは、文化大革命の直前、1964年に杭州の小さな都市で生まれた。喜劇的な演目を特徴とする伝統芸能、評弾(ピンタン)を愛する両親のもとで育った。
成長するにつれ、ジャックは英語に夢中になった。1978年の、鄧小平による対外開放政策の後、コミュニケーションのスキルを磨くために、ジャックは外国人観光客を案内してまわった。そして、通称「高考(ガオカオ)」と呼ばれる大学の統一入試試験において、数学で120点中1点という成績をとってしまい、ジャックは英語教師になることを決めた。
しばらく英語教師として勤めたのち、29歳で、ジャックははじめて事業を起こした。「杭州海博翻訳社」という翻訳会社だ。残念ながら、顧客探しは厳しく、事業を支えるためにジャックは地産品を売り、事業は一種の貿易会社のようにならざるをえなくなった。
一方で、英語力を見込まれて、ジャックは杭州市の桐廬県(とうろけん)の政府に依頼され、現地の会社とのいざこざを解決するためにアメリカに送られた。成功を収めたとは言い難かったものの(あやうく誘拐されるところだった!)、初めてコンピューターとインターネットにふれるという経験はジャックを変えた。
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