嫌われおじさん
「最近の若者」を決めつける

「最近の若者は現実を見ていない」などと「最近の若者」論を語る発言は、年長者の言葉のド定番といえる。日本の昭和生まれの人が言いがち、というレベルではなく、古代ギリシャの哲学者も似たようなことを言っていたらしい。長く生きている年長者は知識や経験が豊富だからこそ、「若者が薄く、脆く、小さく見えてしまう」。
ここで立ち止まって考えるべきは、「『かつて若者だった自分』も、きっと未熟だった」ということだ。若者の時分には、自身も年長者から同じようなことを言われ、心の底からありがたいとは思えなかったに違いない。
父親から体罰を受けて育ったからこそ、自分の子どもには「絶対に暴力を振るわない」と決められる人はいる。されてきたことをそのまま下の世代に受け継いでしまう人もいるが、「自分がされて嫌だったからしない」と負の連鎖を止められる。そうした人は、若い人にも敬意や感謝を抱いてもらえるだろう。「厳しい世の中をサバイブしてこられた強い人」であればなおさら、若者が受け取りやすいように知恵や教訓を授ける責任と能力があるはずだ。昔の自分が言ってもらいたかったことを振り返り、若者を応援するスタンスになろう。
部下の仕事のやり方について、「私が新人の頃は……」とアドバイスするのもありがちだ。厚意で「教えてあげている」つもりでも、「(自分が)新人の頃」は「今よりももっと大変だった」という、上司の深い心の傷を突然見せられるカウンセリングの場に変わってしまう。「アドバイス」のていとなっているだけに、聞かされた側はその傷を受け止めざるをえない。そういう話をするなら「相手の了承が必要」である。
しかも、自分たちの時代より格段に働きやすくなっている若者を羨ましいと感じて、その環境を築いた先輩たちへの感謝の気持ちが足りない、と言いたくなっている気持ちまで透けてしまう。言われた相手にとっては関係ないことだ。どれだけ仲の良い人でも、苦労話ばかり延々とされたら飽きてくる。「いわんや『職場のおじさん』をや」だろう。「苦労話を唐突に語って許されるのは、たまに会うおじいちゃんとおばあちゃんだけ」である。サラりと業務上のアドバイスだけ伝えるようにしよう。
馴れ馴れしさの方向性
職場の雰囲気をよくしようとしてハゲ頭の自虐ネタを披露しても、まったくウケない。新入社員へのサービス精神で渾身のギャグを考えるポジティブさ自体は素敵だが、努力の仕方を間違えているかもしれない。ここでまず意識したいのは、「自分が笑えることだけを言うこと」である。




















