身近すぎて知らないお米
日本人との関係

中国から日本へと稲作が伝わったのは、縄文時代の末期とされている。中国の長江流域で生まれた丸みのあるジャポニカ種は、南アジア・東南アジアへと南下する過程で野生イネと交配し、細長いインディカ種が生まれたという。ジャポニカ種が九州北部に入ると、温暖で雨の多い日本列島の気候とマッチして、弥生時代にはほとんどの地域で稲作が定着した。乾燥させれば長期保存できるお米は、品種と栽培方法の度重なる改良を経て、現代まで受け継がれてきた。
とはいえ、お米は日本の主食と考えられる一方で、生産量や経済的な問題で戦前までは十分に行き渡っていなかった。生産者である農村部では、明治時代の地租改正まで税金としてお米を納める制度が続いており、国の経済基盤としての役割もあったからだ。いまでも1合、2合のように数えるのはその名残である。
稲作は、文化や信仰にも深く影響を与えている。お正月は田んぼの神さまを家にお迎えする行事、お花見は農作物の準備を始める春に豊穣を祈る儀礼であった。真夏の盆踊りで稲の成長を願い、秋の収穫祭で新米を供えて、五穀豊穣への感謝を捧げる。いまも残る伝統的な1年のサイクルは、お米が中心なのだ。
お米の栽培は、生活道具や建築技術の発展にも貢献した。稲わらは草履やしめ縄、土壁の補強材に使われ、古い茅葺き屋根は田んぼの肥料として土に還る。稲作の暮らしにおいて、サステナブルな循環が続けられてきた。
傾斜地につくられた棚田は、「日本人のお米への愛情の結晶ともいえる風景」だろう。機械化が難しく存続の危機にあるが、国土保全や景観形成などの機能を維持していく必要がある。2019年には「棚田地域振興法」が制定され、およそ750地区の棚田地域を守る活動が行なわれている。
お米は「日本人の歩みそのもの」であり、「多くの先人たちの積み重ねの上にある」のである。
お米の問題
2024年夏、スーパーマーケットの棚から米袋が消え、「令和の米騒動」と呼ばれる事態になった。大型台風の上陸などで食料の備蓄意識が急激に高まり、米の品薄感が広がった。新米の時期になっても状況は変わらず、価格は急騰したまま下がらない。




















