上等人種の生活
鼓動を確かめる

代助が目を覚ますと、八重の椿が一輪畳に落ちていた。ぼんやりと大きな花を見つめていた彼は、思い出したように心臓の上に載せて鼓動を確かめた。平生から鼓動を試験する癖があった。彼は健全に生きていながら、生きているという事実を奇蹟のような僥倖と感じることがある。
朝食に紅茶とパンをとり、郵便はなかったかと書生の門野に尋ねると、端書と郵便があった。端書は旧友の平岡常次郎からで、昨日東京に着いたから今日の午前に会いたいと、神保町の宿屋の名が書かれていた。郵便は親爺の手蹟(て)で、旅行から帰ってきたから話があるので来いということだった。門野に本家へ電話をかけさせ、待ち合わせる人があるから上がれない、明日か明後日きっと伺いますからと伝えると、折よく平岡がやってきた。久しぶりだから飯でも食おうと、近所の西洋料理へ上った。
平岡は銀行に就職して京坂地方のある支店詰になっていたが、信頼していた部下が芸妓と関わり合って、会計に穴をあけた。本人の解雇は当然として、支店長にまで煩いが及びそうになったため、平岡が責めを引いて辞職を申し出たということだった。代助には彼が支店長から因果を含められて処決を促された様に聞こえた。そうして東京に戻ってきた平岡は、代助に働き口を世話してくれないかと頼んだ。
別れ際、代助は「三千代さんはどうした」と平岡に尋ねた。本当は一緒に来ようとしていたが、体調がすぐれず宿屋に留まったのだという。「妻(さい)がしきりに、君はもう奥さんを持ったろうかと気にしていた」と平岡が云ったところで電車が来た。
何の為に教育を受けたか
代助の父は長井得といって、御維新のときに戦争に出た経験のある老人であるが、実業界に入って、この十四五年で大分の財産家になった。誠吾という兄は、父の関係している会社で重要な地位を占め、梅子という夫人に二人の子供ができた。姉は外国へ嫁ぎ、母は亡くなったので、本家はこの五人で暮らしている。
代助は書生の門野を置いて一軒家を構えていたが、月に一度本家に金を貰いに行く。そうして親のものとも兄のものともつかぬ金で暮らしていた。
親爺からは因縁の深い細君候補を見付けて旅先から帰ったと聞かされていたので、今日はその話だろうと思っていた。ところが、教育を受けたものは国家社会の為に尽くすべきだという説法だったのだから参った。代助は自分はのらくらしているのではなく、職業の為に汚されない時間を有する上等人種と考えていた。だが、親爺の前ではとにかくおとなしく頷いておいた。
【必読ポイント!】三千代の引力
それ位の金

ある日、三千代が一人で代助の家を訪ねてきた。平岡は高利貸しから金を借りており、それを清算するために代助に借金を頼みに来たのだった。金高は五百円と少しばかりで、なんだその位と腹の中で考えたが、代助には一文もない。代助は、自分は金に不自由していないようで、大いに不自由している男だと気づいた。




















