サグラダ・ファミリアの誕生
財政難がもたらしたチャンス
1978年、当時25歳だった著者は、サグラダ・ファミリアの彫刻家となり、毎日この未完成の大聖堂で石を彫ってきた。2000年には、著者が15体目の天使像を完成させて設置したことで、最初のファサードである「生誕の門」が完成した。
1882年に着工したサグラダ・ファミリアの当初の図面は、今日の奇抜さとは無縁の平凡なものだった。ところが主任建築家が1年ほどで辞任し、次の主任建築家に選ばれたのがアントニオ・ガウディだったことで、大聖堂の姿は変わり始める。
当時のガウディは31歳で、実績らしい実績は何もない、無名の建築家だった。だが、施主である「聖ヨセフ帰依者協会」の財政難がガウディと大聖堂に成長のチャンスを与えた。貧しい信者の寄付金を財源とした建設はゆっくり進み、ガウディはその間に実業家エウセビオ・グエルの支援を受けて、カサ・バトリョやグエル公園といった傑作を生み出していく。その過程で技術とアイデアを磨き、キリスト教を深く学びながら精神的にも気高くなったガウディは、それらすべてを大聖堂の構想と建築に注ぎ込んでいったのだ。
イエスと聖書の物語、キリスト教の象徴が細やかに表現された「石の聖書」とも言えるこの大聖堂は、28年間通い続ける著者にも、未だに新鮮な発見を与えてくれる。




















