激動の世界にあって
教育と民主主義

「何のために学ぶのか?」という問いを教師に投げかけると「子供たちの幸せのため」という答えが返ってくる。「幸せ」について掘り下げてみると、個人の世俗的な幸せである場合も多い。「平和のため」「社会正義を実現するため」といった社会全体の幸せについて答える教師は少ない。日本の教育基本法には、教育の目的について、「『民主的で文化的な国家』を発展させ、『世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する』」とある。はたして現代の教育はこの原理に適うものとなっているだろうか。
「子供たちの日常の身近な行為や感情から立ち上がる教育における民主主義」について、アメリカの哲学者ジョン・デューイ(1859―1952)の思想を紹介しよう。
デューイは人間の道徳を固定的なものとみなさず、「さまざまな経験と結びついた変化や葛藤、偶然性、多元性に開かれたものとして理解しようとした」。我々の行動はいつも理性的な判断の結果であるとは限らない。身の回りの環境との相互作用において形成される「習慣」の影響を受けている。極端な例を挙げれば、家庭や学校などで日常的に暴力と接している子供は、心身に暴力を刻みつけてしまう。
しかし、その「習慣」は変えられるものだ。デューイは「知性によって思考を働かせ、探究を促すことで、新しくよき習慣の方向に向けて変えさせることが可能」であるとした。この探究する習慣の形成こそ、教育に託されるべきものと考えていたのである。
「教育における民主主義」と聞いて我々は、多数決による問題解決を想像しがちだが、デューイの言う「民主主義観」は「コミュニケーションに基づく共同的な生活様式」を指す。
デューイにとって「望ましくない社会」は、「経験の自由な交流や伝達を妨げる社会」である。社会に十分な交流があり、そのなかで受け取られ広がっていく経験が、サステイナブルに変化していく。それが「民主的な社会」なのだ。たとえば、イスラエルの攻撃に苦しむガザの人々という「他の集団」について、メディアのような「コミュニケーションを通じて自分ごとのように考える」のも、「デューイにとっては切実な民主主義の要件」である。
よい民主主義社会のためには、「混乱を引き起こさないで社会変化をもたらすことができるような心の習慣を身につける」ための教育が求められるのだ。以下では、これに沿った教育の事例をいくつか取り上げて紹介しよう。
幼児期の民主主義
影響を与える権利

民主主義の精神を支える営みは、小学校に上がる前に始まっている。生まれてから「世界のさまざまなモノ・コトにどのように出会っていくか」は、人生に大きな影響を及ぼす。とりわけ、「子供の権利が十分に守られているかどうか」が重要だ。「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」により、すべての子供は「参加する権利と影響力を与える権利」をもつとされているからである。ここにおいてまず、子供の意見は「(真剣に)考慮される」べきであり、意思決定に反映されなくてはならない。




















