ほとんどの人は、自分が「ダイバーシティ」(多様性)のもつ価値を理解していると考えている。しかし実際のところ、人間は同一であることを好む。そのほうが心地よいからだ。実際、私たちは自然に、自分と似たような人間を高く評価してしまう傾向をもっている。
このことは特に、マネージャーや人事担当者にとって問題になる。なぜなら、人は自分を基準にして、他者を雇用したり推薦したりしてしまうものだからだ。このような「同一性人材マネジメント」(Homogenous talent management: HTM)では、同じタイプの人ばかり集まることになってしまう。
また、マネージャーを雇用する際も、「客観性」という幻想のもとに、実際はバイアスにまみれた決断が下されている。見た目が異なっていたり、外国籍を思わせる名前だったりすると、その会社の文化に「フィット」しないと見なされ、選択肢から除外されてしまうのだ。
同一性人材マネジメントが横行している環境では、より能力は高いと思われるものの、どこかが異なっている人を起用することは「リスク」と捉えられる。しかしながら、初歩的な生物学が示しているように、多様性の欠如は絶滅のためのレシピなのだ。
『種の起源』のなかでダーウィンは、生命が生きのびるためには多様性が欠かせないと指摘した。現代の研究でも、多様性に富んでいる農地のほうが、そうではない農地よりも生産量は高いと言われている。企業の生産プロセスにおいても、これと同様のことが言えよう。
同一的な戦略を追い求めることや、そのような戦略への批判を封じ込めることは、リーマンショックに始まる、2008年のような経済危機をもたらしかねない。この種の「集団思考」はレジリエンスを低下させ、リスクに直面する危険性を高めてしまう。
ダイバーシティは、組織レベルにおいても個人レベルにおいても、重要視されてしかるべきである。著者たちはこの点について端的に、以下のように言い表した。「ダイバーシティというのは生産性をもたらす主要原材料だ。多様な人材にアクセスできる企業だけが、これからも競争力を保ちつづけ、繁栄できる」。
集団のなかのダイバーシティは、卓越した個人よりも重要だ。だが、多くの組織はダイバーシティを、たんなるジェンダーや人種を反映したものとしか扱っていない。
ダイバーシティは、人種や宗教、年齢、障害、性格、性差など、いくつもの要素が重なったうえで成り立つ。より深いレベルまで掘り下げるなら、DNAや社会経験、人生経験も、ダイバーシティの中に含まれてしかるべきだ。
この点に関する著者たちの見解は単純明快である。
続けて要約を再生する