悪いことはなぜ楽しいのか

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悪いことはなぜ楽しいのか
出版社
出版日
2024年06月10日
評点
総合
3.7
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
3.0
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おすすめポイント

私たちは普段、何気なく「善いこと」と「悪いこと」を区別している。SNSに流れるニュースも、「これは善い」「これは悪い」と判断され、悪いとジャッジされた行為には猛烈なバッシングが浴びせられる。

けれども、そうしたバッシングを浴びせる側の中にも、「悪いこと」に手を染めたことがある人は少なからずいるはずだ。いたずらや信号無視、あるいは……。もしかすると、スリルを求めて「悪いこと」をした経験もあるかもしれない。私たちは「悪いこと」を楽しむ傾向があるということを、認めなくてはならない。

そうすると疑問が浮かぶ。悪いことはなぜ楽しいのか――。

著者の戸谷洋志氏は、倫理学を使ってこの問いに答えを出していく。倫理学は「善いこと」を追求する学問だというイメージを抱いている人も多いかもしれない。そういった意味では、「悪いこと」を倫理学で明らかにするというのは不思議なようにも思える。

しかし倫理学は本来、物事の本質を突き詰める学問だ。いったん既存の価値観をリセットし、徹底的にその主題の本質を思考によって追求していく。ゆえに著者は本書で、一般的な読者とはまったく異なる視点で善と悪を捉えていく。私たちが普段なんとなく「悪い」と判断している事柄について徹底的に考え抜き、倫理学という行燈を使って、その故郷への道案内をしてくれる。

「悪い」が猛威を振るう時代だからこそ、それに振り回されないために、ぜひ読んでおきたい一冊だ。

著者

戸谷洋志(とや ひろし)
1988年東京都生まれ。立命館大学大学院 先端総合学術研究科准教授。法政大学文学部哲学科卒業後、大阪大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。専門は哲学・倫理学。ドイツ現代思想研究に起点を置いて、社会におけるテクノロジーをめぐる倫理のあり方を探求する傍ら、「哲学カフェ」の実践などを通じて、社会に開かれた対話の場を提案している。著書に『ハンス・ヨナスの哲学』(角川ソフィア文庫)、『ハンス・ヨナス 未来への責任』(慶應義塾大学出版会)、『原子力の哲学』『未来倫理』(集英社新書)、『スマートな悪 技術と暴力について』(講談社)、『友情を哲学する 七人の哲学者たちの友情観』(光文社新書)、『SNSの哲学 リアルとオンラインのあいだ』(創元社)、『親ガチャの哲学』(新潮新書)『恋愛の哲学』(晶文社)など。2015年「原子力をめぐる哲学――ドイツ現代思想を中心に」で第31回暁烏敏賞受賞。

本書の要点

  • 要点
    1
    自己中心的な人が楽しそうなのは、それが人間の本能に基づく行動だからだ。
  • 要点
    2
    ホッブズによると、絶対的な強者がいない世界では、生き残りをかけた殺し合いが起こる。そのような争いを防ぐために、私たちは権力に服従し、ルールを守って生活する。
  • 要点
    3
    私たちは、ゲームで強敵を倒すとき、そのキャラクターが悶絶しながら死ぬことを望む。自分の利益にならないのに他者を苦しめたいと思うのは、悪意の衝動に駆られているからだ。
  • 要点
    4
    ルールを変えるため、時に「反逆」が起こるが、そこには予測不可能性がつきまとう。これを制御するのが仲間との「約束」だ。

要約

【必読ポイント!】 自己チューなのはなぜ楽しいのか

自己中は生物の本能

自己中心的な人(以下、自己中)はいつも楽しそうだ。それはなぜだろうか。

大なり小なり、人は誰しも自己中だ。人生の主人公は自分であり、自分が楽しいと思うこと、自分にとって価値があることを追い求める。

そしてどんな生物も、自分の生存を何より優先する。生き残るために食べ、縄張りを作り、外敵と戦う。

これらの行動はすべて自分中心、自己中である。つまり自己中な振る舞いは生物の本能のようなものなのだ。

そう考えれば、自己中が楽しい理由は「それが生物の本能だから」という単純明快な答えとなる。

「平等」の本当の意味
Xavier Lorenzo/gettyimages

倫理学の世界では、自己中をエゴイズムという概念で説明する。エゴイズムの基本的な考え方は「常に自分を中心に考え、他者よりも自分を優先させること」だ。

近世イギリスの哲学者、トマス・ホッブズは人間の本質をエゴイズムのうちに見いだした。ホッブズは人間を「生まれながらに平等な存在である」とする。ここでいう平等とは、「平等な権利を持っている」ということではない。「同じくらいの力を持っている」、つまり「我々の体力や知性には個体差があるが、大した違いではない」という意味だ。

すべての人間が平等な世界では、絶対的な強者や弱者はいない。つまり、争いが起こったとしても、その戦いは拮抗する。どれだけ体力や知性に優れた人でも勝ち続けることはできず、誰かに殺されてしまう可能性もある。

平等な私たちが殺し合わずに済む方法

絶対的な強者のいない戦いは、明確な勝ち負けがつかず、終わりのないものとなる。こうした状態をホッブズは「万人の万人に対する闘争」と呼んだ。万人の万人に対する闘争は、猜疑心により、自分が殺されないために先手を打って他の人を殺すことになる。

すべての人が自己中だと、人々は争い合い、殺し合うことになってしまう。この問題はどのように解決されるべきか。

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要約公開日 2024.09.08
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