
孫正義は、誰よりも自分の父・三憲(みつのり)を尊敬していた。公の場で口にすることはないが、集中力と負けじ魂が世界中の誰よりも強い三憲は、正義にとって特別な存在なのだ。
三憲は1936年に生まれた在日韓国人二世である。貧しい家庭を助けるため、中学を卒業すると廃品回収業や焼酎の行商で働いた。やがてパチンコ店を兄弟で100軒あまり経営するほどの成功を収め、正義ら4人の息子を育て上げた。
正義は自らをこう形容する。「僕は一・五代目だ」。ソフトバンクを創業した起業家ではあるが、父から多くのものを受け継いだ。事業を受け継いだ二代目ではないが、一・五代目だ。父に対する尊敬の念が込められている。
正義は三憲から「勉強せよ」と言われたことは一度もなかったが、それがかえって、勉強したいという気持ちを起こさせた。そんな息子を見て父親は「お前は天才だ」と褒めちぎった。「親父は最高で偉大な教育者だ」と正義は振り返る。
三憲からは「知恵は脳みそがちぎれるほど絞れ、そうすれば湧いてくる」と何度も聞かされた。また、在日韓国人が日本人社会で生きるには「正しいことをやらんとこの国では認めてもらえん」とも。
正義にとって、父は最大の理解者であり、応援者であった。

その三憲が病に斃(たお)れた。診断は、ステージ4の末期がん。2021年春、三憲は80代後半になっていた。年に一度の人間ドックを欠かさず、毎月、定期健診を行っていたのにもかかわらず、発見はかなわなかった。
病魔に侵されながらも、三憲は「やりたいことがある。まだ5年は生きたい」と強く願っていた。東京の病院に転院し、がん治療を行った。一時は薬が効いてがん細胞は縮小したものの、最後は病魔が勝った。
その死の間際、三憲はカッと目を見開いて「虎は死して皮を残す、人は死して名を残す」と言った。そして、眠るように息を引き取った。

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