一・五代目 孫正義
一・五代目 孫正義
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一・五代目 孫正義
出版社
実業之日本社

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出版日
2025年08月20日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

日本で最も有名な事業家である孫正義。その一族もまた、事業家一家だった。

その中心人物が、在日二世たる父の孫三憲(みつのり)である。パチンコ店をはじめ、不動産、焼肉屋、消費者金融、ゴルフ場まで手掛けた裸一貫のアントレプレナーだ。正義は父の影響を一身に受けて育った。

この親にしてこの子あり。2人の遺伝子がそっくりだったことは本書でも触れているが、正義の実弟・孫泰蔵が自著『孫家の遺伝子』に記したエピソードも、それをよく表している。

家族で国技館に相撲観戦に行った時のことだ。みんな初めて目にする国技館のスケールに目を奪われていたが、三憲と正義だけは、「ディズニーランドもすごいが、相撲もすごい」と話し込んでいた。無償の後援者(タニマチ)をはじめとした、何百年も続く大相撲を支えるインフラについて話しているのだった。インフラやシステムに関心をもつ正義の遺伝子は、三憲から受け継いだものだった。

本書は、孫正義と実父・孫三憲の物語を軸に、正義の母、祖父母、叔父、兄弟、さらには朝鮮半島に眠る直系先祖までをも含む、孫家の壮大な物語である。著者は孫正義を38年取材し続け、『志高く 孫正義正伝 決定版』がベストセラーになった井上篤夫氏だ。ポイントを押さえた簡明な記述は、逆に行間を読ませて想像を掻き立てる。

本書に目を通し、自らを叱咤激励する発奮材料にするか、子育てを見直すきっかけとするか。それは読者自身に委ねられている。

ライター画像
荻野進介

著者

井上篤夫(いのうえ あつお)
作家。1986年にビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)、テッド・ターナー(CNN創業者)を単独取材した。1987年、ソフトバンクグループ代表、孫正義に初インタビュー、以来38年余にわたって密着取材を続けている。著書『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社・同文庫))はベストセラーとなり英語・韓国語に翻訳された。『志高く 孫正義正伝 完全版』(実業之日本社文庫)は2010年オーディオブックアワード ビジネス書部門大賞受賞。『志高く 孫正義正伝 新版』(実業之日本社文庫)、『事を成す 孫正義の新30年ビジョン』(実業之日本社)、『孫正義 事業家の精神』(日経BP)、『とことん 孫正義物語』(フレーベル館)、『フルベッキ伝』(国書刊行会)は2023年日本英学史学会・豊田實賞受賞、『ポリティカル・セックスアピール 米大統領とハリウッド』(新潮新書)、『追憶マリリン・モンロー』(集英社文庫)、『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』(集英社新書)ほか。訳書に『マタ・ハリ伝 100年目の真実』(えにし書房)、『今日という日は贈りもの』(角川文庫)、『マリリン・モンロー 魂のかけら』(青幻舎)などがある。
http://www.ainoue.com

本書の要点

  • 要点
    1
    正義は自らを「一・五代目」だと形容する。事業を受け継いだ二代目ではないが、父・三憲から多くのものを受け継いだから一・五代目というわけだ。三憲は正義の最大の理解者・応援者であり、正義は誰よりも三憲のことを尊敬していた。
  • 要点
    2
    三憲は勉強ができたが、窮する家族を養うために高校進学を諦めた。闇焼酎や養豚、お金の貸し付けなどさまざまな商売に従事した後、「九州一のパチンコ店」を経営するまでになった。
  • 要点
    3
    三憲は正義にさまざまな訓えを残した。中でも「孫家の血を誇りに思え、何があっても、負けるな」が最も大切なメッセージである。

要約

負けじ魂

「僕は一・五代目だ」

孫正義は、誰よりも自分の父・三憲(みつのり)を尊敬していた。公の場で口にすることはないが、集中力と負けじ魂が世界中の誰よりも強い三憲は、正義にとって特別な存在なのだ。

三憲は1936年に生まれた在日韓国人二世である。貧しい家庭を助けるため、中学を卒業すると廃品回収業や焼酎の行商で働いた。やがてパチンコ店を兄弟で100軒あまり経営するほどの成功を収め、正義ら4人の息子を育て上げた。

正義は自らをこう形容する。「僕は一・五代目だ」。ソフトバンクを創業した起業家ではあるが、父から多くのものを受け継いだ。事業を受け継いだ二代目ではないが、一・五代目だ。父に対する尊敬の念が込められている。

正義は三憲から「勉強せよ」と言われたことは一度もなかったが、それがかえって、勉強したいという気持ちを起こさせた。そんな息子を見て父親は「お前は天才だ」と褒めちぎった。「親父は最高で偉大な教育者だ」と正義は振り返る。

三憲からは「知恵は脳みそがちぎれるほど絞れ、そうすれば湧いてくる」と何度も聞かされた。また、在日韓国人が日本人社会で生きるには「正しいことをやらんとこの国では認めてもらえん」とも。

正義にとって、父は最大の理解者であり、応援者であった。

虎は死して皮を残す、人は死して名を残す
hikastock/gettyimages

その三憲が病に斃(たお)れた。診断は、ステージ4の末期がん。2021年春、三憲は80代後半になっていた。年に一度の人間ドックを欠かさず、毎月、定期健診を行っていたのにもかかわらず、発見はかなわなかった。

病魔に侵されながらも、三憲は「やりたいことがある。まだ5年は生きたい」と強く願っていた。東京の病院に転院し、がん治療を行った。一時は薬が効いてがん細胞は縮小したものの、最後は病魔が勝った。

その死の間際、三憲はカッと目を見開いて「虎は死して皮を残す、人は死して名を残す」と言った。そして、眠るように息を引き取った。

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要約公開日 2025.12.05
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