「夫婦」と親子
夫婦の不在

『【推しの子】』のように、主人公の母親がシングルマザーである物語がエンタメ界を席巻している。しかし、その父親の不在に気づくことはあまりないのではなかろうか。それだけ「私たちはシングルマザーの物語に慣れ切っている」のである。
物語を理解しようとするとき、そこで語られていることではなく、潜んでいる「不在」に目を向ける必要がある。したがって、シングルマザーの物語に対しては、「なぜ今、物語において、父は語られづらいのか」という問いを考えたい。
2023年の宮﨑駿監督の大ヒット映画『君たちはどう生きるか』と、村上春樹のベストセラー小説『街とその不確かな壁』は、「母がヒロイン」という共通項をもつ。『君たちはどう生きるか』に登場するヒロインたちは、「美しく、家事ができて、そして主人公を異世界に連れ出してくれる」ジブリ映画のヒロイン像、母の表象と一致する。主人公の眞人は、イメージの世界の母親への思慕を抱えたまま生きることを決意する。『街とその不確かな壁』のヒロインは、主人公の初恋の相手であり、それが「母のイメージを伴っている」印象づけがなされる。
つまり、これらの作品には「自分を産む前のお母さんと恋をして、自分を産んでもらいたい」という欲望が共通しているのだ。ここには「日本のある欲望が露呈している」のではなかろうか。すなわち、1940年代生まれの男性たちが、妻ではなく母のイメージで女性を捉え、夫ではなく息子としての自意識を抱えているということだ。そして、父親として「自分の仕事を誰に継承させるのか」が問題とされる。ここには、「夫」が不在なのである。
日本には父の日や母の日はあっても、夫の日や妻の日はない。夫婦というヨコのつながりより、親子という「タテの関係に自分を位置づける意識のほうが強い」といえるだろう。これについて社会学者の瀬知山角は、「家事役割のなかでも子どもの世話が女性に求められる役割として強いこと」を指摘する。その背景にあるのは、近代家族が形成される過程で希薄になった夫婦愛と、家父長制のなかで夫の家にひとり入る嫁の孤独を唯一癒してくれる、子どもの存在であった。その構造において、親子の関係性が強固になっていった。
それは戦後社会だけでなく、現代にまで根強く残っているように見える。『【推しの子】』の第1巻では「母親になれば 子供を愛せると思った」という台詞が核となり、それが「『推し』と『ファン』の愛情に転換される」。この作品のなかで「『母の愛』は『本物の愛』として信仰されている」のであり、そこに、本作が広く強く受容される理由があるのかもしれない。




















