【必読ポイント!】私たちを苦しめる「追手」の正体
6人の追手
私たちが常に感じている、何かに追われている感覚。その正体は、時間、成長、数字、労働、お金、消費の「6人の追手」である。
「6人の追手」は個人の性格や能力からではなく、社会の仕組みそのものから生まれている。そのため、小手先のスキルを使っても問題は解消されず、形を変えて繰り返し迫ってくる。
私たちのしんどさはどう形づくられて、どう人間を苦しめてきたのか。本書ではその構造を、歴史と思想から明らかにしていく。本要約では「6人の追手」のうち、時間、成長、お金を取り上げる。
時間 〜なぜいつも時間に追われているのか?

現代人は常に時間に追われている。便利な家電やスマートフォンに囲まれているのに、なぜ「時間が足りない」という感覚になるのだろうか。歴史をたどって「時間の流れ」の変遷を見ていこう。
時は紀元前6世紀ごろの古代ギリシア。都市国家が誕生し、ソクラテスやプラトンなどの哲学者が登場したこの時代、時間の流れは今とまったく違っていた。古代ギリシア人にとって時間とは、季節や星座のように「永遠に繰り返すもの」。彼らの時間感覚は「循環的」であったのだ。
それを変えたのが、キリスト教である。キリスト教の偉人の一人であるアウグスティヌスは、3世紀前半に記した著作『神の国』の中で、循環的な時間感覚を「ばかげた空虚なもの」と一蹴している。その代わりに示したのが、世界には「始まり」と「終わり」があり、人類は「最後の審判」が行われる「終わり」に向かって一直線で進んでいくという歴史観――すなわち「直線的な時間感覚」である。時間は「ぐるぐる回る円」から、「目的地に向かって進む矢印」に変わったのだ。
この時間感覚は、キリスト教の普及とともにヨーロッパ中に広がった。中世の修道院では「神への奉仕」の名のもと厳格に時間が管理され、産業革命後の近代では労働者を管理する道具として時間が使われるようになった。現代は「時間管理」があらゆる場面を支配している。
とはいえ、私たちの中には「自然と一体となった循環的な時間感覚」も残っている。両者に挟まれて窒息しそうになっているのが、「便利になっているのに忙しい」というしんどさの原因ではないだろうか。




















