吉田松陰 松下村塾 人の育て方

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吉田松陰 松下村塾 人の育て方
出版社
出版日
2014年12月09日
評点
総合
3.8
明瞭性
4.0
革新性
3.5
応用性
4.0
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おすすめポイント

正解のないケースを取り上げ、メンバーが意見を交わす中で、妥当解に近づけていく。ハーバード大学のサンデル教授の授業さながらの光景が、100年以上前の日本ですでに実践されていたというのだから驚きだ。それが吉田松陰の松下村塾である。

鎖国下にありながら世界に目を向けた議論を戦わせ、松陰が塾の中心となり処刑されるまでのわずか2年4か月の間に、明治維新とそれに続く近代日本の建設の中核を担う人材を輩出した松下村塾。類まれなる人材育成を可能にしたのは、松陰の教育者としての卓越した手腕だと言えよう。彼は一方的に弟子たちに指導することはなかった。師弟が一緒に刻苦勉励し、師となり弟子となる成長の過程こそが学問に求められる姿勢だと説いたのだ。

本書は高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文などの具体的な志士を例に挙げ、師弟同行、現実立脚主義、個性教育、師恩友益などの教育思想や理念をどう実践してきたのかを鮮やかに示す。こうした思想は、150年以上の年月を経てもなお色褪せないどころか、現代だからこそ必要な知恵の結晶だと言える。

松陰の教育観と、彼が生み出した教育システムを、現代の社員教育に応用すると、どんな効果が生まれるのか? そのヒントがちりばめられた一冊である。企業の経営者やマネージャー、人事教育スタッフなど、人の可能性を信じ、人材育成に携わるすべての人にとって、必携の書だとお薦めしたい。

ライター画像
松尾美里

著者

桐村 晋次
1937年下関市生まれ。1963年東京大学法学部卒業後、古河電気工業に入社。人事部長、取締役経営企画室長、常務取締役を経て、古河物流社長。この間、筑波大学大学院(夜間)カウンセリング専攻修了。神奈川大学経営学部教授、法政大学キャリアデザイン学部教授、同大学院経営学研究科教授、神奈川大学特別招聘教授、日本産業カウンセリング学会会長、人材育成学会理事を歴任。40年にわたり、松下村塾の人材育成について研究し、同テーマでの月刊誌への連載、新聞・雑誌への寄稿をはじめ、企業・教育研修期間での講演も多く行っている。
主な著書に、『人材育成の進め方』『人事マン入門』(以上、日経文庫)、『日本的経営の何を残すか』(共著、ダイヤモンド社)、『新入社員教育のすすめ方』(日本生産性本部)、『キャリア・コンサルタント その理論と実務』(共著、日本産業カウンセラー協会)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    松陰の「学び方」の基本姿勢は、師匠と弟子が一緒に学び合うという師弟同行・師弟共学の思想である。師匠も弟子も、自ら書物や人に会って自己研鑽に励むことが重要だと考えられている。
  • 要点
    2
    松陰は、現実立脚主義に立っており、現実に即した多くの情報を現地から得て、分析することで、的確な判断を下せると考えていた。
  • 要点
    3
    松陰は、友人同士の切磋琢磨を活用して、弟子一人一人の個性や能力を最大限引き出すことを目指していた。相互啓発を通じ、各人の長所を引き出し、短所を改めさせようとした。

要約

松下村塾の誕生

塾生が自力で育つ集団教育システム
AndreyPopov/iStock/Thinkstock

日本の歴史上に名を残したどんな英傑も、彼個人が優れていたというだけではなく、彼を取り巻く集団が高度に開発されており、リーダーを支えていたということがわかっている。人間は個人の素質もさることながら、属する集団から大きく影響を受ける。言い換えれば、集団の中の切磋琢磨、つまり相互啓発によって集団のレベルが高まり、英雄を生み出してきたともいえる。

松下村塾の塾生が松陰に直接学んだのは、数か月から1年あまりである。松陰の没後10年で果たされた明治維新が、松陰の力だけで導かれたというのは過大評価だろう。つまり、塾生たちが村塾でともに学び議論する中で、相互啓発の相乗効果が起こり、時代の変革の力をつけていったという見方ができるのではないだろうか。松陰は彼の死後も塾生たちが自力で育っていく教育システムを作り出したのである。

幕末期の私塾の隆盛
dk_photos/iStock/Thinkstock

近世において、庶民教育の代表といえる寺子屋や武士のための藩校、郷学は著しく増加していった。幕末には、儒学、国学、洋学、心学などを学ぶ「私塾」という中等教育以上を担う機関が発達した。その理由は三つある。一つは、各藩が競って武芸以外にも優れた人材育成に力を注ぐようになったためである。二つ目は、鎖国体制を揺るがす国際環境の変化に対処できる人材が求められるようになったためだ。三つ目は、経済力をつけた町人や豪農が、読み書きソロバンを超えた学問の必要性を強く認識し始めたためである。

私塾の特徴は、藩校などの官公立学校と違い、士族と庶民の共学であったことと、弟子のレベルに応じた個性尊重の個人別教育が可能であったことだ。また、私塾では経済社会の発達や科学の進歩に応じた実際の用に役立つ知識や技能の習得を目指すことができた。教育内容は教師の関心とレベルによって決められ、学生側が自主的に学びたい分野と教師を選ぶ形だった。

幕末はまさに私塾の隆盛期と呼べる。社会構造の変化のうねりとともに、日本固有の文化や精神を明らかにしていこうとする国学の研究も進んでいった。国学に端を発し、「本来の日本は君主主体の政体であるべきだ」という反幕思想が生まれ、その流れの中で松下村塾が誕生した。

【必読ポイント!】 松陰の教育の特徴

師弟同行・共学の思想
RTsubin/iStock/Thinkstock

奇兵隊を創設し、明治維新の発火点となった高杉晋作は、久坂玄瑞とともに「村塾の双璧」と称されるほど優秀であった。彼が村塾に入門したいと申し出たとき、松陰はこう答えた。「高杉くん、いっしょに励みましょう」。松陰は、弟子入りの希望者に「あなたは私に何を教えることができますか」と質問することもあったと言う。松陰の学問の学び方についての基本姿勢は、「師匠と弟子が一緒に学び合う」という師弟同行・師弟共学の思想だった。

この思想は彼が獄中にいたときにも遺憾なく発揮されている。獄舎を同じくしていた囚人たちは、向上心を失っていた。松陰は彼らに書道や俳句といった芸や才能を見出して、彼らに師事したいと言い出し、互いに学び合うようにした。他人に師として存在を認められた囚人たちは、勉強を通じて希望を持ち始めた。

現代においても、指導者や監督者はえてして部下に何でも教えなければいけないと思いがちである。しかし、大事なのは、

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要約公開日 2015.01.13
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