一般的に「貨幣は物々交換に代わる便利な交換手段として使われるようになった」と理解されている。政府発行の紙幣は、人々が受け取り続ける限り価値があり、貨幣としての役割を果たすというわけだ。
このような主流派経済学の「商品貨幣論」に対し、MMT(Modern Money Theory、現代貨幣理論)では、人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるからだとしている。また政府は通貨を創造できるので、租税収入は必要なく、自らの通貨について支払い不能となることはあり得ない。
このようなMMTの主張を理解するためには、基本的なマクロ会計の知識が必要である。まずすべての金融資産には、その裏返しとして同額の金融負債が存在する。たとえば政府部門と民間部門で構成される閉鎖経済では、民間部門が黒字であれば、政府部門は赤字にならなければならない。この2部門に海外部門を加えた開放経済においても同様で、1つの部門が金融資産を蓄積するためには、他の2部門を合算した純金融負債が同じだけ増える必要がある。つまり赤字が金融資産を生み出すのだ。
次に「主権通貨」の概念を検討する。従来、政府が発行する主権通貨を民間部門が受け取るためには、「金などの貴金属と交換可能である」という裏付けが必要とされてきた。
しかし米ドルや日本円のような主要通貨において、このような裏付けは必要ない。歴史を遡れば、政府が国内の支払いにおいて政府の通貨を受け取るように要求する支払手段制定法を定めた国もあるが、このような法律がなくとも通貨が流通している例は多い。
それでは、なぜ誰もが政府の発行する通貨を受け取るのか。それは政府の通貨が、政府に対して負っている租税などの金銭債務の履行において利用されるものだからである。政府は民間部門における通貨の利用を強制できない。しかし自らが課す納税義務を果たすため、通貨の利用を強制できるのだ。
政府が租税を必要とするのは、歳入を生み出すためではない。通貨の利用者たる国民が、通貨を手に入れようと労働力、資源、生産物を政府に売却するように仕向けるためである。つまり通貨に対する需要を創造することが、租税の目的なのだ。
民間部門、政府部門、海外部門におけるすべての資産・負債に関するフロー、ストックは、その国の計算貨幣で説明できる。計算貨幣の動きを記録する巨大なスコアボードとも言うべきものが金融システムだ。貨幣のストックとフローは、概念上は計算貨幣を単位とした会計上の記録に過ぎない。
政府は「キーストローク(キーボードを叩いてコンピューターに入力すること)」さえ実行すれば、バランスシートへ電子的に記帳できる(=支出できる)。たとえば銀行から借り入れをするケースだと、銀行は返済をうける約束と引き換えに、当座貯金口座に融資額を振り込む。銀行は前もって貯金をする必要はまったくないし、金庫の中の現金も必要ない。コンピューターに融資額を入力したに過ぎないのだ。
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