「大学教授」と学生が戯曲について議論をしていると、双方が独特の目つきをする瞬間がある。先生は「なんだ、こんなことがわからないのかね」という目つき、学生は「わかりませんよ。そんなの先生のこじつけでしょう」という目つき。ひとつの物語を読むにあたり、同じ「分析機器」を持っていないがために生ずるひとときだ。
大学教授は少しばかり読者としての経験が豊富だ。だから「読解の言語」を使いこなすことができる。学生の方はそれを身に付け始めたばかりだ。読者は文学の文法、伝統的手法やパターン、コードと法則などを、読むことで学んでいく。どんな言語にもルールがあるように、文学にも読解のルールが存在する。
文学のルールを意識したことがなくても、読者は読む力を持っている。作文の作法を知っていて、それを認識し、結果を予測することも、読む能力の一部だ。一方、文学にも、特有の技法がちりばめられている。登場人物のタイプ、プロットのリズム、章分け、視点の制約等々。そのうえ、ジャンルを超えた共通の約束事まである。たとえば「春」はとても普遍的な題材で、春が登場すると青春、期待、新生活など、あまたの想像が脳裏を駆け巡るはずだ。
文学を読むにも技法が鍵となる。それは理解できた。ではそれはどうすれば習得できるのだろうか。答えはひとつ。カーネギー・ホールの舞台を目指すのと同じだ。つまり、練習あるのみである。
キップという少年の話をしよう。舞台は1968年の夏だ。キップは母親からお使いを頼まれてパンを買いに行く。安い自転車に乗って町を走るだけで居心地が悪い。道中ではジャーマン・シェパードとのトラブルもあった。最悪だったのは、スーパーマーケットの駐車場で片思いの相手カレンと、スポーツカーに乗ったトニー・ヴォクソールがいっしょにいるところを見てしまったことだ。キップはスーパーマーケットに入り、パンの棚に手を伸ばす。その瞬間、こんなシケた町にいるくらいなら年齢をごまかして今すぐ海兵隊に志願してやる、と決心するのである。
英文学の教授なら誰しも、たった今騎士が宿敵に遭遇する場面を目撃したことに気づくはずだ。いやいや、ただパンを買いに行っただけではないか、と疑問を持つかもしれない。しかし、それこそが探求の物語なのだ。騎士、危険な道程、姫君、邪悪な騎士……先の話は探求の冒険の要素を満たしている。
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