人の世界観は、人生のスタート時に関わるごく少数の他者によってつくられる。なかでも影響が大きいのは家族、特に親である。
もし彼らが気分屋であったり暴力をふるったりする「安心を与えてくれない存在」だったら、子どもから見た世界は「バイオハザード」のような、予測不能な世界となるはずだ。普通のドアでも、「ゾンビが出てくるかもしれない」とおそるおそる開ける――。このような生活を続けていたら、他人を怖いと感じるようになるのは当然のことだ。
こうした人たちが安全を確保して生きるためには、常に周囲の機嫌をうかがい、攻撃されないようにするほかない。その結果、自分のニーズより他人のニーズを満たすことを優先するようになる。
人生がハードモードになってしまうのは、本人に問題があるからではない。「初期設定」にバグがあり、その世界に適応してきた結果、そうなってしまったのである。
人生の初期に接する大人が気分屋だったり不安定だったりすると、他人を信頼しなくなる。そして、他者に対して信頼感を持てないと「自分は相手にとって役立つかどうか」という観点で人間関係を構築するようになる。この、「周囲に役立っている時や期待に応えられている時は大丈夫」という感覚を、「自己効力感」と呼ぶ。
一方、周囲の期待に応えられなくても「自分は大丈夫だ」と思える感覚が「自己肯定感」である。自己肯定感は簡単に揺らがないのに対し、自己効力感は相手や自分の状況によって揺れ動きやすい。仕事の難易度が上がったり病気になったりすると、自己効力感は簡単に落ちてしまう。
生きづらさから抜け出すためには、どんな状況でも「自分は大丈夫」だと思える、自己肯定感を身につけることが大切だ。
生きづらさに対処するには、まず徹底的に「自分を知る」必要がある。
ゲームの世界では「戦士系キャラは力が強く頑丈だけど、スピード感がない」「術士系キャラは防御力が弱いが賢い」など、タイプによって能力値や得意・不得意が異なる。このように、「自分のキャラを知ること」は「しんどさ」を回避するうえで、非常に重要なことなのだ。
だが実際、自分のことを正確に理解できている人はかなり少ない。組織心理学者であるターシャ・ユーリックの研究調査によると、95%の人が「自分は自分のことをわかっている」と答えたものの、そのうち自己認識ができていたのはたった10~15%であったという。
「幸せになりやすい人」は、自分のことをよくわかっている。自分のことをよく知っていると、世の中と上手につながれるし、うまく自分の機嫌をとることもできる。自己認識の高さと幸福度は、密接に関係しているのだ。
ビジネスや武道に「型」があるように、不幸にも「型」がある。生きづらい人は、「同じような失敗パターン」に陥っていることが多い。本書では、その特定パターンを「見えない敵」と名づけて7つ紹介しているが、ここではそのうち3つを取り上げる。
1つ目は、「べき思考」だ。「べき思考」とは、「こうしなければならない」という思考のクセである。
ある日、著者のクリニックに「営業で成果が出せなくてつらい」という患者が訪れた。彼女の話によると、先月の売上目標は98%達成したが、上司からは「99%でも未達と同じ。どうやったら100%達成できるか考えろ」と言われたようだ。そして、どうしたら完璧に目標達成できるかを、同僚といつも話し合っているのだという。
彼女は、上司や同僚から押しつけられた「完璧でなければならない」という「べき思考」を内面化し、苦しんでいた。職場での会話を通して、無意識のうちに上司の「常識」が刷り込まれていたのだ。
他者から押しつけられた「べき思考」に気づかないまま苦しんでいる人は多い。真面目で人の言うことを素直に受け止める人ほど、他人の「べき思考」を取り込み、忠実に努力をしてしまう。
「べき思考」を手放すためには、自分がどんな「べき思考」を持っているかを言語化することが有効だ。その際には、イラッとした感情に目を向けるといい。「100%を達成できない自分が腹立たしい」のなら、その裏には「100%達成すべき」という「べき」が隠れている。日々の怒りや違和感をメモに残しておき、そこに潜む「べき」を言葉にしてみよう。
「反芻思考」とは、自分の欠点や不安、過去の失敗やつらい出来事を頭の中で繰り返し考え続けてしまうことである。反芻思考の頻度が高い人ほど、生きづらさが増して、幸福度も下がることが知られている。
反芻思考の厄介な点は、「建設的な振り返りをしている」つもりでも、気がつくと「なんで私はこんなにダメなんだ」という自己否定にすり替わっているところである。反芻思考は「反省」とは異なり、自分に対するネガティブな考えをぐるぐる回しているだけだからだ。
反芻思考が活性化するのは、現在の落ち込みを「過去の嫌な出来事」や「未来の不安」に結びつけてしまった時だ。何かに失敗して落ち込んでいるところに「前にもこんなことあったな」「こんなことじゃやっていけない」と過去や未来を結びつけてしまうと、反芻思考のループが回り出して止まらなくなる。自己否定には「酔い」の要素もあるため、一度ハマるとなかなか抜けられないのだ。
反芻思考に入っていると気づいたら、いかに短時間で切り替えるかがポイントとなる。
仲のいい同僚がミスをした時に「私が手伝っていれば、このミスは起きなかったかもしれない」と後悔したり、志望していた大学に落ちて「両親をがっかりさせてしまった」と自分を責めたりする――。ネガティブな出来事に対して「すべて自分のせいだ」と感じてしまうことを「自責思考」と呼ぶ。自分の責任でないことにも「自分のせい」だと感じてしまうのが、この思考の厄介なところだ。
自責思考を理解する際にヒントとなるのは、「境界線(バウンダリー)」という概念で、「自分の責任」と「相手の責任」を分けるラインを指す。このラインがはっきりしていれば、むやみやたらに「自分のせいだ」と悩むことはないが、自責思考の強い人は、このラインが曖昧になっていることが多い。
境界線をうまく引くコツは、「2つの勘違い」をしないことである。1つ目は「責任範囲の勘違い」で、相手の問題を「私がなんとかしなくてはいけない」と思ってしまうことだ。相手の責任範囲に手を加えることは、境界線を越える行為(ラインオーバー)である。ラインオーバーし続けると、相手が自分の課題に気づく機会を奪ってしまう。
2つ目は、「能力の勘違い」。「自分が頑張れば、この人の問題をなんとかできるのでは」という勘違いだ。他人の問題解決は、思うよりもずっと難しい。この考えに陥ると自分を追い込むことになってしまう。
境界が溶けやすい人は、「この問題に自分がコミットするのは“当然”なのか」「自分がコミットしたら解決するのか」と、一旦客観的に考え直す習慣を持つようにしよう。
生きづらさから抜け出すためには仲間が必要だ。「白魔道士」のように、どんな時でもあなたの味方でいてくれる人である。
このような人を見つけるのはとても難しいが、方法はある。まず、直接的な利害関係のない人間関係の中から、健全な依存先候補を探すことだ。自己開示に自信を持てないうちは、カウンセリングや占い師などの「有料の資源」に頼ってもいい。言語化の練習にもなるだろう。
精神科医の松本俊彦先生は「信頼できる大人は10人中3人くらいしかいない。1人に話してダメでも、8人目までSOSを出し続けてほしい」と言っている。一度試してダメだったとしても、「次こそは」という可能性を捨てずにいてほしい。
「生きづらさから抜け出す冒険」を助けてくれる「キーアイテム」もある。そのひとつは、「分人主義」という考え方だ。作家の平野啓一郎さんが提唱した概念で、分人主義では人間の基本単位を「個人」ではなく、「分人」の集まりだと考える。
例えば、ここにAさんという人がいる。仕事の上司の前でのAさんと、中学時代の地元の友達の前でのAさん、そしてサークルのオタク仲間の前でのAさんは、同じ人間だがキャラは違うはずだ。
「分人主義」では、自分と交友関係のあるすべての人との間に自分の「分人」が存在し、それらを合わせたものが「Aさんという人間」と考える。この考え方に基づくと、どんな場面における「私」も、すべて「本当の私」となる。つまり、相手によって違うキャラになるのは、当たり前のことなのである。
平野さんによると、個性とは「分人の構成比率」であり、最も大きな比率を占める「分人」が「自分らしさ」をつくっているという。相手によって違う「分人」が出てくるのだから、「付き合う相手」の構成比を変えれば、当然自分の個性も変わる。「嫌いな自分」を変えたいなら、「この人と一緒にいる時の自分は好き」と思える人間関係の割合を増やしていくとよいだろう。
著者のクリニックでは「コンテンツ処方」ということをしている。患者の苦しみや生きづらさを軽減するために、似ている苦痛や困難を描いた作品、癒しにつながる音楽などを紹介するのだ。作品の中に「自分」を見つけられたら、自分の苦しみに輪郭がついて苦しみが軽減されるからだ。
ネガティブな感情をコントロールできなくなったら、「心のHP(エネルギー)」がすり減っている状態だと思って間違いない。心のHPが失われると、普段なら外に出ないような怒りや攻撃性、罪悪感、「死にたい」という気持ちが洪水のように溢れ出てくる。
そんな時は、何よりもまず「心のHPの回復」に務めてほしい。なるべく動かず、考えることを減らし、疲れる社交を極力避けて植物のように過ごす。そうやって心のHPがじわじわ回復するのを待つのである。著者はこれを「HP原理主義」と呼んでいる。
頑張れない自分に罪悪感を抱くかもしれない。それでも、ピンチの時ほど「HP原理主義」を発動させて、心のHPの回復を優先してほしい。
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