『ドラゴンボール』でよく知られる漫画家・鳥山明は、デビュー作から次の作品となる『Dr.スランプ』を生み出すまでの1年半の間に、漫画原稿用紙500枚のボツを出され続けたという伝説が、まことしやかに語られている。漫画における「ボツ」とは、作成されたが採用とならなかったネームや原稿を意味する。500枚という数は必ずしも誇張ではなく、どうやら引っ越しの際に出てきたボツ原稿が、目測でそれくらいはあったということらしい。そのボツを鳥山に出し続けた当時の担当編集者が、『週刊少年ジャンプ』編集部時代の鳥嶋和彦であった。
鳥山明は当時の様子をエッセイマンガに描いており、とにかく無慈悲に「ボツ」と言い放つ鳥嶋のキャラクターは、読者に強い印象を与えた。のみならず『Dr.スランプ』には鳥嶋をモデルとした悪役マッドサイエンティスト「Dr.マシリト」というキャラクターすら登場させている。「ボツ」という言葉は、いつしか鳥嶋のキャッチフレーズのようになっていった。
ところが鳥嶋は、鳥山に対して相当なダメ出しをしたことは事実だが「ボツ」という言葉を口にしたことはないという。あるエッセイ漫画に書かれた「ダントツで人気なかった」「はっきりいってドベ!」という言葉はたしかに言った記憶があるというが、「ボツ」とは言っていないそうだ。漫画家は、常に現実に起こった出来事をおもしろく描こうとする。鳥山本人が述べたところによれば、似顔絵をうまく描くコツは「欠点をどう描くか」だ。鳥嶋は、鳥山の「ボツ」というキャッチーな言葉で決めるという采配を受けて、次のように語っている。
「ボツ」という言葉が僕のイメージになっているとすれば、鳥山さんの漫画がいかにうまいかってことだよ――。
しかし、鳥山は恨みがましい口調でおもしろおかしく鳥嶋をエッセイ漫画に描いてはいるものの、同時に「この1年間はなかなか勉強になっておもしろかった。わしはめげないのである」とも書いている。鳥山がなぜ500枚も書き続けられたのかと問われた鳥嶋は、負けず嫌いな性格と生活を立てなければならなかった状況を挙げつつも、修正をする中で鳥山自身が手応えを感じていたからではないかと分析する。
もともと、鳥嶋は漫画が好きで『ジャンプ』に入ってきた社員ではなかった。むしろ当時の『ジャンプ』の漫画について「絵は汚いし、下手くそだと思っていたよ」と語る。同調性が強い編集部の組織文化にも疑問を持っていた。そこで昼寝をしに出かけたのが小学館の資料室だった。ここで『ジャンプ』以外の漫画を読み漁ったことで、自分なりの漫画作りのメソッドを確立できたことが大きかった。その方法論を活用して鳥山の漫画をレベルアップさせていったことが、『Dr.スランプ』の誕生につながっていったのである。
連載前の『Dr.スランプ』は編集部内では不評だった。先輩のデスク(3〜4人の班を統括する役職)からは「落ちがない」と叱られたというが、鳥嶋は次のように語っている。
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