街場の親子論

父と娘の困難なものがたり
未読
街場の親子論
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父と娘の困難なものがたり
未読
街場の親子論
出版社
中央公論新社

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出版日
2020年06月10日
評点
総合
4.2
明瞭性
4.5
革新性
4.0
応用性
4.0
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おすすめポイント

親子はこうあるべきだと主張する考え方には様々なものがある。しかし、親子、家族といえども、1人の人間と人間が向き合う関係であることには変わりない。1人ひとりの人間のあり方が違うならば、それぞれの人間との結びつき方も変わるはずだ。だから、親子関係の絶対の真理となる唯一の「正解」などない。

本書において父親・内田樹と娘・内田るんは、往復書簡を重ねる中で、手探りで親子関係の「正解」を探していく。しかし、どうやらそのようなものはないらしいことに気づく。そもそも、人間は自分で自分のことを完全にわかっているわけではない。他の人から言われて気づく自分の姿もある。父と娘は往復書簡という形でつづられるお互いの言葉から、自分では気づかなかった自分自身の姿を見つけていく。父にとっての娘、娘にとっての父という「他者」との対話を通して、今まで知らなかった娘の、父親の思いに気づかされることもたくさんあったようだ。

本書でも述べられているように、親子関係は完璧でなくても良いし、理解できない部分や考えが違う部分もある。それを前提とするくらいの方が、ちょうど良い親子関係を築けるのかもしれない。問題があっても、失敗しても、それも含めて受け入れていくような向き合い方を、親として、子として、考えていけるようになるのではないだろうか。

そして、それはすべての他者に開いてゆくことのできる視点である。

ライター画像
大賀祐樹

著者

内田樹(うちだ たつる)
1950年東京生まれ。思想家、武道家(合気道7段)、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。2011年、哲学と武道研究のための私塾「凱風館」を開設。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第3回新書大賞、執筆活動全般について第3回伊丹十三賞を受賞。著書に『ためらいの倫理学』(角川文庫)、『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)、『先生はえらい』(ちくまプリマ―新書)など多数。近刊に『サル化する世界』(文藝春秋)、『街場の日韓論』(編著、晶文社)がある。

内田るん(うちだ るん)
1982年東京生まれ。詩人、フェミニスト、イベントオーガナイザー。8歳のときに兵庫県芦屋市立山手小学校に転校、県立芦屋高等学校卒業。バンド「くほんぶつ」「The Scrooge」を主宰。

本書の要点

  • 要点
    1
    どんなに親しい間柄でも100%の理解、共感が成り立つことはあり得ない。家族の間に秘密があるのも当たり前だ。「家族は心の底から理解し共感し合うべきだ」という前提から話を始めるよりも、家族関係の合格点を低めに設定しておくくらいがちょうどいい。
  • 要点
    2
    家族でも、友人関係でも、「共感できないけれど、一緒にいて楽しい」という方が人間同士のかかわりとしてはずっと自然だし、居心地が良い。
  • 要点
    3
    緊密な家庭内合意形成の必要はなく、1人ひとりがどんなことを考えていてもいい。理解も共感もなくても、人は支え合うことができる。

要約

微妙に噛み合わないくらいがちょうどいい(父・内田樹)

家族の間にも秘密はある
nd3000/gettyimages

最近の若い人たちが、あまり「つるんで遊ぶ」ことをしなくなったように見えるのは、他人とコミュニケーションするのが面倒だからではないだろうか。そうして他人との付き合いを負担に感じるようになったのは、共感圧力が強すぎるせいだと思う。

いまの日本社会では、過剰なほどに共感が求められている気がする。しかし、ふつう他者との間で100%の理解と共感が成立することなんかあり得ない。どんなに親しい間であっても、共感できることもあればできないこともあるし、理解できることもあればできないこともある。

家族の間に秘密があることも当たり前であり、家族に知られたくない思いを心の奥底に抱え込んでいるものだ。もし「家族らしい思いやり」というものがあるとすれば、家族が隠していそうな「心の秘密」に気づいてもそれに不用意に近づかない、という気づかいのことではないだろうか。

どれだけ親しい間柄でも、必ずどちらかが「何でそんなことを言うのかわからないこと」を言い出し、「何でそんなことをするのかわからないこと」をし始める。しかし、それは避けがたいものなのだという心の準備はなかなかできないので、「親しいつもりだった家族」は傷つけ合ってしまう。「家族はお互いに秘密を持たない方がいい」「家族は心の底から理解し共感し合うべきだ」という、間違った前提から話を始めたことがその原因なのだ。

「あるべき家族」について高い理想を掲げ、お互いをつねに「減点法」で採点するのはよくない。家族の合格点をわりと低めに設定しておいて、「ああ、今日も合格点がとれた。善哉善哉」と安堵する日々を送る方が、精神衛生にも身体にもよいのではないだろうか。

親子のコミュニケーション
Orbon Alija/gettyimages

電車の中で高校生たちが話しているのを横で聴いていると、超高速で言葉が飛び交っていることに驚かされる。脊髄反射的で、「口ごもる」とか「しばし沈思する」ということがまったくない。おそらくかれらは、その超高速コミュニケーションが「良質のコミュニケーション」だと思っている。

超高速コミュニケーションが可能となるためには、そのサークルにおける自分の「立ち位置」、「こういうふうに話を振られたら、こういうふうに即答するやつ」という「キャラ設定」が確定していなければならない。これはとても疲れることだし、大きなリスクを含んでいる。キャラ設定を受け入れると、たしかに集団内部に自分の「居場所」はできる。一方でこれは、最初に与えられた役割から踏み出さず、そこから変化してはいけない、という無言の命令とセットとなる。

家庭内でも、無数の「キャラ設定」がある。その期待に応えてそれらしいリアクションをすると、家族も機嫌がよくなる。しかし家族の絆はつねに、「変化するな」という威圧的な命令を含意している。人が成長するときには、3日経つと別人になってしまうくらいの勢いで変わる。だから、若い人たちが成熟を願うのであれば、どこかで家族の絆を諦めるしかない。子どもの成熟と家族の絆はトレードオフなのだ。絆が固ければ固いほど、成熟を求めて絆を切った子どもと残された家族とのその後の関係修復は困難になる。だったら、はじめから絆は緩めにしておいた方がいい。

この往復書簡を通読すると、親密なやりとりよりも、「なんとも微妙なすれ違い」の方に興味を持つのではないだろうか。

私たち2人は、うまくコミュニケーションのできない親子だった。

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要約公開日 2020.09.12
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